半坪ビオトープの日記

善光寺、経蔵


本堂を見終わってあらためて大きな三門(山門)を眺めると、仲見世を歩く参拝客がたくさん見え、その先に仁王門まで見通せる。

本堂正面に向って左側に、宝暦9年(1759)建築の木造の経蔵が建っている。間口、奥行きとも約11.5m、高さ約13.5mである。内部中央には、仏教教典の全てを網羅した六千巻余の一切経が納められた、輪蔵と呼ばれる独楽のような形をした書庫がある。この輪蔵を回すことによって一切経を読んだのと同じ功徳が得られるという。

経蔵内には、釈迦如来像、如意輪観音像、伝教大師像、慈覚大師像ほか、輪蔵を考案した傅大士像が安置されている。右の大きい方が傅大士像である。

経蔵前に一対で輪廻塔が建立され、「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれている。石柱にはめ込まれている車輪状の石を回すと諸々の苦悩を抜け出すことができるという。

三門の左(西)側には石塔や石仏がいくつか佇んでいる。これは仏足石(跡)といって、釈迦の足裏を刻んだものである。足の真中にある輪は、三十二相の一つ「千幅輪相」で、釈迦が法(教え)を説くことを意味している。奈良時代の初めに遣唐使に随従して入唐した黄書本実が、長安善光寺において、西域から伝えられたという「仏足跡」を転写して持ち帰ったことに始まるとされ、奈良薬師寺の仏足石が日本最古という。

こちらの宝篋印塔は、この地方で最古の逆襲供養塔である。右の西塔が高さ149cm、左の東塔が140cmで、西塔には応永4年(1397)の銘が入っている。古くから源義経の忠臣佐藤継信・忠信兄弟の供養塔で、兄弟の母梅唇尼が善光寺に詣で二人の冥福を祈って建てたと伝えられている。

本堂の左奥(北西)に日本忠霊殿がある。日本唯一の仏式による霊廟という。本尊は秘仏善光寺如来の分身仏であり、高村光雲門下の関野聖雲の作という。

忠霊殿には善光寺資料館が併設されていて、庶民的な善光寺信仰の姿を伝える奉納絵馬や本堂に安置されていた仏像などを拝観することができる。ダライラマ善光寺を訪れた時に製作された砂曼荼羅も展示されている。聖徳太子像、薬師如来坐像阿弥陀如来座像、観音菩薩像、勢至菩薩像のほか、仁王門に安置されている高村光雲米原雲海の作といわれる仁王像及び背後の三宝荒神・三面大黒天の原型像はとても迫力に満ちている。

こちらに並ぶ仏像は、元三門上にあった江戸時代に庶民が奉納した百羅漢である。