半坪ビオトープの日記

光前寺

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光前寺、仁王門

乗鞍高原から駒ヶ根高原に移動した日に駒ヶ根にある名刹、光前寺を訪ねた。光前寺は天台宗の別格本山の寺院で、正式には宝積山無動院光前寺という。貞観2年(860)創建とされ、天台宗信濃五山(他は戸隠山顕光寺善光寺、更科八幡神宮寺、津金寺)の一つである。仁王門には大永8年(1528)慶延作の金剛力士像が安置されている。

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苔むす参道

戦国時代には武田、羽柴家等の武将の保護を受け、徳川時代には徳川家から60石の寺領と10万石の大名格を与えられるなど隆盛を極めた。境内は樹齢数百年の杉の巨木に囲まれ、本堂はじめ10余棟の堂塔を備える長野県屈指の大寺である。苔むす参道脇の石垣の石の間には光線に反射して金色に輝くヒカリゴケが自生している。

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三門

参道の突き当たりに建つ三門は、嘉永元年(1848)に再建されたもので、上層には十六羅漢を祀っている。三門とは、三解脱門で迷いより悟りに入る門の意である。

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弁天堂と経蔵

三門をくぐると本堂前庭に鎌倉時代作庭とされる蘭渓道隆式池泉庭園がある。竜門滝の上部に鯉魚石を意匠した滝石組で、日本庭園史上貴重な石組みとされる。その右手に弁天堂が建っている。光前寺最古の室町時代の建物で、方一間の入母屋造。宝形造りの内部厨子には、明応九年(1500)作の弁財天と十五童子が安置されている。その右手奥に建つ赤い屋根の建物は、享和2年(1802)に再建された経蔵で、入母屋造妻入り。唐破風造りの向拝の建築美は近郷第一という。霊剣早太郎報恩の為に奉納された大般若経などの経巻が所蔵されている。

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本堂

開基は、円仁の弟子本聖が比叡山を下りた後、太田切川の支流黒川の滝中から不動明王像を授かり、統治に寺を創建したと伝わるが、古記録は武田勝頼織田信忠との戦いなど数々の罹災により焼失した。本堂は嘉永4年(1851)に再建されたもので、入母屋杮葺妻入、桁行5間、正面1間、軒唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り、内部の内陣には本尊の不動明王および八大童子像が安置されている。この不動明王像は7年に一度開帳される秘仏である。他に秘宝として元和6年(1620)に制作された雨乞いの青獅子と呼ばれる木造の獅子頭がある。光前寺に語り伝えられてきた雨乞い信仰ならびにかつて青獅子が実際に芸能に用いられたことを裏付ける貴重な獅子頭である。

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霊犬早太郎

光前寺は霊犬早太郎伝説でも知られている。古くから遠江の見附には怪物が現れ村々に大きな被害を与えていた。それを防ぐため見附天神の例祭に年頃の娘を柩に入れて怪物に捧げる悲しい風習があった。延慶元年(1308)社僧一実坊弁存は怪物が信州んは弥太郎を恐れていることを知り、光前寺から早太郎を借りて柩に入れた。怪物が柩を開けるや早太郎は猛然と戦って退治したが、早太郎も深手を負い光前寺にたどり着くや死に絶えたという。以来、早太郎こそ不動明王の化身として信仰を集めている。

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早太郎の墓

本堂の左手に苔むした早太郎の墓がある。もう一方の伝承地である見附天神では、しっぺい(悉平)太郎あるいは疾風太郎と呼ばれている。見附天神の正式名は矢奈比賣神社であり、隣接地には早太郎を祀る霊犬神社がある。

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上穂十一騎之碑

早太郎の墓の向かいには、上穂十一騎之碑がある。大坂冬の陣と夏の陣で豊臣方の真田幸村配下として戦い、散った郷士駒ヶ根市西側一帯に広がる上穂郷で、武芸に秀でた農家の次男や三男の十一人。夏の陣では伊達政宗軍などと戦い、徳川方本陣にあと一歩まで迫りながら全員討ち死にした。

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三重塔

文化5年(1808)再建の三重塔は、南信州唯一の三重塔で杮葺、高さ約17mで五智如来を安置している。二層部は中央間板唐戸、脇間板壁、軒は二軒繁垂木。三層部の軒は扇垂木、三手先組物。全体に均整のとれた美と彫刻の美しさは高く評価されている。

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石造の早太郎像

本堂の入口脇に木造の早太郎像があるが、三重塔の右手前には石造の早太郎像がある。遠州見附の村を救った早太郎は、その後も見附の人々の心に残り、光前寺のある長野県駒ヶ根市と見附の村がある静岡県磐田市とは友好都市になっている。

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タマガワホトトギス

本堂前の池泉庭園の近くで黄色いホトトギスの花を見つけた。日本固有種で、本州、四国、九州に分布し、山地の沢沿いや湿った林内などに生育するホトトギス属のタマガワホトトギスTricyrtis latifolia)である。牧野富太郎によれば黄色を山吹の色に見立て、山吹の名所であった京都府の木津川の支流である玉川の名を借りて命名したという。

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本坊入口

三門手前、参道の北側に本坊があり、宝物殿と本坊客殿にある築山池泉庭園の特別拝観ができる。

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ヒカリゴケ

参道の石垣の間のヒカリゴケはなかなか見つからないが、本坊客殿の縁の下の一角に金網越しではあるが、光り輝くヒカリゴケをしっかりと観察することができる場所がある。ヒカリゴケ(Schistostega pennata)はヒカリゴケ科ヒカリゴケ属のコケで、1科1属1種の原始的かつ貴重なコケ植物である。洞窟のような暗所においては金緑色(エメラルド色)に光る。北海道と本州中部以北の湿った暗所に自生し、北半球北部の冷涼地に広く分布する。

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客殿西側の築山式池泉庭園

客殿西側の庭園は、築山式池泉庭園で、江戸時代初期策定とされ、山畔に石組と滝組を行い、その下部に池泉を意匠してある。本堂前庭園とともに国の名勝に指定されている。