半坪ビオトープの日記

山花

放光寺

放光寺 仁王門 甲州市円山藤木の恵林寺の少し北に、真言宗智山派に属する古刹、放光寺がある。山号は高橋山(こうきょうざん)。元暦元年(1184)源平合戦で功績を立てた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を祈念して創建したという。仁王門は天正年間(1573-92)…

栂池高原自然園

栂池高原自然園 さらに右手を眺めると、自然園から白馬大池方面の尾根が見えるが、おおかた雲に覆われていた。 オヤマリンドウ この青紫色の花は、日本特産種のオヤマリンドウ(Gentiana makinoi)。中部地方以北の亜高山帯や湿原、草地に生える多年草。茎の…

栂池高原自然園

栂池高原自然園、タマガワホトトギス 今年は春に佐渡、初夏に五島列島に出掛け、8月初旬には長野県の栂池高原を散策した。麓の栂池高原駅(839m)からゴンドラリフトで栂の森駅(1582m)に行き、ロープウェイに乗り換えて自然園駅(1829m)まで上がる。…

矢堅目、大曽・猪ノ浦・鯛ノ浦・浜串教会

矢堅目 奈摩湾の入口に位置する矢堅目は、円錐形の奇岩がよく目立ち、平戸から五島の西目の海上航路の目標になっている。この地は古くから奈摩湾に侵入する外敵の見張りのために、矢(守備兵)で堅(砦)めたことから「矢堅目」の地名が残されている。室町時…

曽根・江袋・仲知・米山教会、津和崎灯台

曽根教会 五島の三日目は、主にこれより北、北魚目地域のキリスト教の教会と景勝地を巡る。まず初めに、ホテル近くの曽根教会を訪れる。旧聖堂は明治32年(1899)、フランス人宣教師アルベルト・ペルー神父の指導により、鉄川与助が20歳の頃初めて教会建築に…

奈留島、奈留教会・江上天主堂、中通島、中ノ浦教会・真手ノ浦教会

福江港、常灯鼻 福江港に面したホテルから、目の前に常灯鼻が見える。第30代領主・五島盛成公が石田城(福江城)を築くにあたり、北東からの波を防ぐため弘化3年(1846)に建造された。当時は防波堤としてだけでなく灯台の役目も担っていた。 屋根尾島 二日…

長谷寺

長谷寺、仁王門 妙泉寺の東にある長谷寺(ちょうこくじ)は、大同2年(807)に弘法大師の創肇なりと『古伝縁起』に記される佐渡屈指の真言宗の古刹である。寺号は地形が大和の長谷寺に似るところから、「里を長谷と称し、山号を豊山、寺号を自性院長谷寺と…

二ツ亀、本間家能舞台

二ツ亀 大野亀から北東方向に、佐渡最北端の二ツ亀の姿が認められた。大野亀もそうだが、二ツ亀もあまりにも大きい巨岩なので、近づくより遠くから見る方が全体像が掴める。 二ツ亀 まるで二匹の亀が蹲っているように見える。干潮時には陸続きになる。大野亀…

道遊の割戸、選鉱場跡

道遊の割戸 高任神社の裏手から道遊の割戸が間近に見られる。割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達する。慶長6年(1601)、佐渡金山発見の一つといわれ、金鉱脈(道遊脈と呼ばれる脈幅約10m、長さ約120m、深さ約100mの優良鉱脈)を掘り進めるうちに、山…

佐渡島、真野公園、佐渡金山

佐渡島、真野公園 今週、金色のカエルが見つかったという佐渡島に、4月上旬、二十数年ぶりに訪れた。真っ先に金山に向かう予定だったが、桜は佐渡随一の名所が真野公園ということで、そこに寄り道した。すでに駐車場の周りの桜が満開だった。 真野公園 真野…

湯の丸高原、池の平湿原

湯の丸高原 一昨日、久しぶりに、湯の丸高原と池の平湿原を散策してきた。湯の丸高原は浅間連峰の西側に位置し、標高1800〜2000mの高原地帯である。その名の通り丸く穏やかな山容を見せている湯ノ丸山(2101m)の山肌にも、6月下旬にはレンゲツツジの朱色…

油井の池、五箇創生館、郷土館

油井の池 カタクリの里から西に進むと那久の集落に出る。那久川の上流には壇鏡神社と光山寺跡という史跡があるのだが、残念ながら途中の道路が崩壊していて通行禁止だった。光山寺の創建は宝亀年間(770-780)といわれ、平安時代に遠流となった小野篁が過ご…

天健金草神社、カタクリの里

天健金草神社、一の鳥居 都万の北の霊亀山の麓に天健金草(あまたけかなかや)神社という古社があり、一の鳥居の先には緩い石段が長く続く。 天健金草神社、二の鳥居 木造の二の鳥居のずっと先に見えるのは社殿ではなく、随神門である。 随神門 随身門には天…

後鳥羽上皇行在所跡、隠岐神社

後鳥羽上皇行在所跡 時間がないので残念ながら海士町役場近くに戻り、隠岐神社に寄る。海士町には縄文時代の郡山遺跡、三田遺跡、北分遺跡などがあり、産出されない黒曜石や石器類が数多く出土している。弥生式土器とともに出雲と同種の銅剣が竹田遺跡から出…

天佐志比古命神社

天佐志比古命神社(一宮神社) 知夫村役場の近くの宇都に、天佐志比古命神社(一宮神社)がある。反りが強い一の鳥居の扁額には「一宮神社」と書かれているように、地元では「一宮(いっくう)さん」と呼ばれる。 天佐志比古命神社の狛犬 参道の右脇に立つ出…

赤壁展望台

赤壁展望台より神島 赤禿山展望台から南に下って、知夫里島の西端にある赤壁という名勝を見に行く。駐車場から展望台へと遊歩道を北西方向に向かうのだが、振り返ると南東方向の海の向こうに小さな島が見える。神島という島で、知夫里島の一宮神社の神が最初…

知夫里島、赤禿山展望台

知夫里島、赤禿山展望台から赤灘の瀬戸を見る 隠岐3島目は知夫村の知夫里島。本土から最も近い島で、約40km離れている。古代には知夫利、智夫、中世には千波とも表記された。島北の来居港からすぐ南回りに島を巡り、島西の赤禿山展望台に着いた。西北には…

比奈麻治比売命神社

由良の浜 西ノ島の西から東へ一気に移動するが、途中でまた由良比女神社のある由良の浜を通った。満開の桜が華やかだ。 比奈麻治比売命神社 フェリーの発着する別府港を過ぎると、小さな集落がいくつかあるだけで、最後の集落・宇賀に着く前の草木の生い茂る…

焼火(たくひ)神社

隠岐の黒曜石 泊まったホテルのロビーに真っ黒な黒曜石が展示されていた。隠岐の黒曜石は、はるか3万年前から中国地方を中心に新潟や四国地方に運ばれており、旧石器時代から石器の材料として利用されていた。隠岐の黒曜石は、遠くはウラジオスクまで運ばれ…

浄土ヶ浦海岸、大山神社、黒島

浄土ヶ浦海岸 布施集落の北側に浄土ヶ浦海岸がある。1kmに及ぶ複雑な海岸は島礁の数が多く、多島海岸風景は風光明媚な景勝地で知られる。 浄土ヶ浦海岸 浄土ヶ浦海岸は大きく4つの入江に分かれ、この一番左の入江は最もおとなしい白砂の海岸である。 ヤブ…

春日神社

春日神社の鳥居 隠岐の島町の東半分を一周する国道485号線を中村から南東に進むと布施集落に至る。隠岐では珍しい白い砂浜の海水浴場「春日の浜」に面する黒松林の中に春日神社がある。「日本の白砂青松百選」にも選定されている。樹齢350年を超える黒松が70…

白島展望台

白島と沖ノ島灯台 隠岐島後の北端に伸びる白島崎と、その沖に浮かぶ白島、沖ノ島、松島、小白島を合わせて白島と呼ぶ。遠くに見える灯台は沖ノ島灯台という。 タチツボスミレ 紫色の小さなスミレが道端に咲いていた。スミレの仲間はよく似ていて、いつも同定…

裏磐梯、中瀬沼・レンゲ沼探勝路

裏磐梯、曽原湖 雄国沼の散策の後は裏磐梯高原で泊まり、翌日はいくつかの湖沼を散策して回った。裏磐梯で最大の桧原湖の東に、曽原湖がある。一応曽原湖畔探勝路が設けられているのだが、湖畔は別荘地として販売されているためかほとんど沼に沿って歩くこと…

雄国沼遊歩道

タテヤマリンドウ 雄国沼にはニッコウキスゲやレンゲツツジの他にも多くの花が咲いている。ワタスゲやタテヤマリンドウは6月初旬が見頃のようだが、まだあちこちで咲いている。タテヤマリンドウ(Gentiana thunbergia var. minor)は、ハルリンドウの高山型…

雄国沼

雄国沼と猫魔ヶ岳 10日ほど前に福島県北塩原村(裏磐梯)にある雄国沼湿原を訪れた。雄国沼は正面の猫魔ヶ岳(1,404m)や雄国山(1,271m)、古城が峰、厩岳山などを外輪山にもつ、猫魔火山のカルデラにある湖沼である。以前は陥没カルデラに水が溜まったカ…

赤城山、吹割の滝、水芭蕉の里

赤城山の覚満淵 5月上旬に春の花を探しに赤城山周辺を訪れた。大沼の南の湿原、覚満淵を鳥居峠から見晴らす。 アカヤシオ 赤城山は、春を告げるアカヤシオの花が咲くので有名だが、中でも手っ取り早いのがこの鳥居峠だ。駐車場の目の前の尾根にアカヤシオ(…

白沙八幡神社

白沙八幡神社の巨大な鳥居 壱岐空港および壱岐随一のビーチ筒城浜の近くに、白沙八幡神社がある。巨大な鳥居の扁額の上部には、八幡神の使いである鳩が鎮座している。ブラジルに移住した人々によって奉献されたという。 二の鳥居 道路の海側には目新しい巨大…

男嶽神社

男嶽神社 女嶽神社の先、壱岐島の鬼門・男岳山(168m)の山頂付近に男嶽(おんだけ)神社がある。明治時代まで山全体が神体とされ、一般人の入山が禁止されていた霊山という。 男嶽神社の鳥居 鳥居の脇には展望台があり、壱岐の島の様子を見渡すことができ…

住吉神社

「夫婦楠」 住吉神社の二の鳥居 壱岐風土記の丘のすぐ南、壱岐島のほぼ中央に住吉神社がある。平戸藩主により寄進された、苔むした大きな二の鳥居の奥、参道の先に一段高くなったところに社殿が見える。 竹生島神社と稲荷神社 境内に入りすぐ左にある神池の…

猿岩、太郎磯・次郎礫

猿岩 翌朝も快晴。湯本湾を囲む黒崎半島の先端に、壱岐のシンボルともいうべき「猿岩」がある。壱岐島が誕生する謂れとして、「壱岐は生きた島なので流されないようにと八本の柱を立てて繋いだが、その柱は折れのこり、今も岩となって残っている」という言い…