半坪ビオトープの日記

後鳥羽上皇行在所跡、隠岐神社

後鳥羽上皇行在所跡
時間がないので残念ながら海士町役場近くに戻り、隠岐神社に寄る。海士町には縄文時代の郡山遺跡、三田遺跡、北分遺跡などがあり、産出されない黒曜石や石器類が数多く出土している。弥生式土器とともに出雲と同種の銅剣が竹田遺跡から出土している。藤原宮跡(694-710)出土の木簡に隠岐国海士郡の名があり、中央政権との繋がりがわかる。古代から干し鮑が中央に献上されていた。延喜式には中ノ島の前二社に加え、奈須神社、健須佐雄神社が記載されているが、隠岐国は流人配所の遠流の国とも記載され20名を超える貴人が流されたとされる。中世の鎌倉時代には佐々木定綱隠岐国の地頭職を拝領したことに始まり、佐々木一族の支配が続く。承久3年(1221後鳥羽上皇承久の乱に敗れ、隠岐国海士町)に配流され、ここで19年間過ごして崩御された。その間過ごした後鳥羽上皇行在所跡が隠岐神社の左手にある。明治初期まではこの参道入口まで、船で来られたという。当時、船を係留させるために網をかけていた老松があったという。現在、ここには小さな松の木・網掛けの松が立つ。

後鳥羽上皇網掛けの松
後鳥羽上皇網掛けの松は、1991年に伐採され、切り株が向かいの後鳥羽院資料館に保存されている。この資料館には、隠岐神社に奉納された刀剣などの宝物や後鳥羽上皇に縁のある品々、島内遺跡で出土した考古資料を展示している。

後鳥羽上皇行在所跡
後鳥羽上皇行在所跡は、源福寺の跡地で現在は礎石と石標が立つのみ。

後鳥羽上皇行在所跡
この行在所に着かれた後鳥羽上皇は、「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」という有名な一句を詠み、「新島守」の生活が始まった。隠岐神社の例祭日には、この歌に楽と振りを付けた、隠岐神社にだけ伝わる承久楽が奉納されるという。この森には大きな松が生い茂っていて、遠島百首の中にも「いかにせむ葛はふ松のときのまもうらみてふかぬあき風ぞなき」「暁の夢をはかなみまどろめばいやはかなるる松風ぞふく」との歌を詠んでいる。

後鳥羽上皇御製の歌碑
行在所跡の左手には、後鳥羽上皇御製の歌碑がある。「古郷をしのぶののきに風すぎて苔のたもとに匂ふたちばな」

勝田池ほとりの後鳥羽上皇の歌碑

行在所跡の右手前にある勝田池のほとりには、後鳥羽上皇の詠まれた歌碑がひっそりと立っている。「蛙(かわず)鳴く苅田の池の夕だたみ聞かましものは松風の音」

後鳥羽天皇御火葬塚
行在所跡の手前左手に、後鳥羽天皇御火葬塚がある。在島19年後の延応元年(124060歳で崩御された。遺骨は北面の武士・藤原能茂が奉持し京都の大原の里に納め奉ったが、その大部分は行在所源福寺境内の一角に納め奉った。

隠岐神社
後鳥羽上皇行在所跡の右手(南西)に、隠岐神社がある。御火葬塚の所には江戸初期まで片石を置いて標識とした。万治元年(1658松江藩主・松平直政は御廟を造営したが、江戸末期には腐朽した。海士村民は祭祀を続行していたが、昭和14年(1939後鳥羽天皇崩御700年祭を期に隠岐神社が創建された。

隠岐神社の桜並木
境内は約1万2千坪あり、参道の桜並木はソメイヨシノを中心に約250本あり、隠岐島一の花の名所として知られる。

隠岐神社の神門
隠岐神社の境内にも後鳥羽上皇の歌碑がある。「人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は」。百人一首99番の歌で、後鳥羽天皇の歌として有名な一首である。後鳥羽天皇は文武両道で、特に歌道に優れ、和歌所を設置し、『新古今和歌集』を勅撰したほどだった。

回廊付きの神門
スイセンなどの花が咲く先に立派な神門が構えている。回廊付きの神門は、銅板葺の切妻造、四脚門。

隠岐神社の拝殿
神門の先には整然とした社殿・拝殿がどっしりと構えている。拝殿は銅板葺、入母屋造。神門、本殿等と同じく1939年の建立。隠岐神社は、島人から「ごとばんさん」と親しみ込めて呼ばれている。

拝殿内部
拝殿内部は調度類もきちんと揃えられ厳かな雰囲気が漂う。新しい神社なのであまり宝物があるわけではなく、文化財としては島根県指定の太刀(銘来国光)がある。

隠岐神社の本殿
本殿は銅板葺、隠岐造。祭神として後鳥羽天皇を祀る。

ヒガンマムシグサ
境内には他に神輿庫がある。隠岐で唯一の校倉造りのようだ。境内の一角で、テンナンショウ属の花を見つけた。テンナンショウ属の花は似たものが多く、地域変異も多いので判別には苦労する。図鑑で調べた限りでは、ミミガタテンナンショウ(Arisaema limbatum)よりも仏炎苞の口辺部が耳状に広がる幅が狭いので、ヒガンマムシグサArisaema undulatifolium/aequinoctiale)と思われる。葉は2枚、小葉は7〜11枚。花期は3〜4月と早く、花序が先に展開し、次に葉が展開する。両種とも鳥取県に分布するとの記載はみつからないので、違う種かもしれないが、ヒガンマムシグサの近縁種であることは間違いないと思われる。オキタンポポに代表されるように、隠岐の島々は約1万年前に本土と離れて動植物が取り残されたというので、地域変異も多いと思われる。