半坪ビオトープの日記

三重

瀧原宮

伊勢志摩巡りの最後に、内宮の別宮で一番離れている瀧原宮を訪れた。瀧原宮は、伊勢市を流れる宮川の河口から約40km上流の、宮川支流大内山川が流れる度会郡大紀町滝原にある。境内は鬱蒼とした森に囲まれている。 瀧原宮の宮域44haは、後ろに山を控えて南面…

月夜見宮

内宮の北にある月讀宮の後、外宮の北にある月夜見宮に向かう。外宮別宮第三位で、外宮の別宮の中では唯一の宮域外にある神社である。伊勢市街地にありながら、境内は楠、欅、杉などが鬱蒼と茂り静けさが保たれている。ほぼ真四角の境内の三方を取り囲む堀は…

月讀宮

猿田彦神社から1.5kmほど北東に、内宮の別宮である月讀宮がある。祭神は月讀尊で、「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされる。外宮と内宮を結ぶ御幸道路に面して表…

猿田彦神社

内宮の近く、宇治浦田に猿田彦神社がある。境内の東側に駐車場があり、車両修祓所脇に北参道の鳥居がある。 南(左)に回り込むと佐瑠女神社があり、右にUターンすると猿田彦神社の社殿の前に出る。社殿は「さだひこ造り」と呼ばれる二重破風の妻入造である…

おかげ横丁、おはらい町

内宮から出て、宇治橋で五十鈴川を渡った右側(北)に伸びるおはらい町と呼ばれる門前町は、古くから参拝客で賑わい、江戸時代に流行したおかげ参りの雰囲気が味わえる。お蔭参りとは、お蔭詣でとも呼ぶが、数百万人規模のものがおよそ60年周期で3回起こっ…

内宮、大山祇神社

神楽殿の先を右手に曲がるとすぐ左側に御厩(うちのみうまや)がある。内宮には厩が二つあり、こちらは内御厩という。 参道を北に進むと、火除橋の手前にある新しい手水舎の脇から、右手に御池が垣間見られた。ほとんど人が近づくこともなく佇む御池には、水…

内宮、荒祭宮

外玉垣南御門から戻り、正宮の西側の板垣に沿うように右に折れると、荒祭宮に向かう参道がある。参道の左手には御稲御倉(みしねのみくら)が正宮の方角(東)を向いて建っている。社殿は高床の切妻屋根、千木・鰹木を備えた正宮と同じ唯一神明造で、内宮の…

内宮、正宮

五丈殿の先には、左手に忌火屋殿が見える。内宮境内にある各神殿に供える神饌を調理する所。御火鑚具(火きりの杵と檜の板)を用いて得た忌火(清浄な火)で調理し、辛櫃に入れ、さらに御祓いを行い供える。建物は切妻、妻入、素木造で、屋根は二重、煙出し…

内宮、風日祈宮 

第二鳥居をくぐった所で右に折れると、風日祈宮に通じる風日祈宮橋を渡る。 宇治橋に似た橋の両側には、神明鳥居が建っている。向こう側の南端の擬宝珠に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」の名が刻まれていて、明応7年(1498)に勧進…

内宮、御手洗場

神苑に入るとすぐ右に折れ、広い参道を南に進む。内宮は東にある神宮林の神路山と島路山の麓にあるが、五十鈴川の西には鼓ヶ岳(355m)が控えている。この鼓ヶ岳はそれほど高くないが、伊勢市街地のどこからでも見えるし、山頂からは伊勢市街が見渡せる。 内…

内宮、神苑

五十鈴川のほとりにある皇大神宮は、伊勢神宮の二つの正宮のうちの一つで、一般には内宮と呼ばれる。伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。社地の面積は外宮の10倍ほどあり、外宮と異なり右側通行で…

登茂山公園、英虞湾クルーズ

英虞湾の南に東西に長く横たわる先志摩半島の東の付け根辺りに、英虞湾に張り出す半島状の丘陵がある。丘陵の各所で旧石器時代や縄文時代の遺跡が見つかり、古くから人が住んでいたことがわかる。英虞郡の地名は天武天皇時代(680年頃)の木簡にも見ることが…

あづり浜、御座の潮仏

和具から4kmほど西へ進んだ先志摩半島の太平洋岸に、白浜がきれいなあづり浜(阿津里浜)がある。あづり浜には、おあつらえ向きの小島・すずめ島が入江の真ん中にあって、打ち寄せる波しぶきとあいまって、絶景となっている。すずめ島の周囲の岩礁が堤防の…

和具観音堂

大王崎から西南に4kmほど進むと、志摩市大王町船越と志摩町片田の境にある深谷水道を通過する。深谷水道は、太平洋と英虞湾を結ぶ長さ約550m、幅約20mの運河で、英虞湾内の真珠養殖に必要な新しい海水を送り込む目的で、昭和7年(1932)に完成した。 深谷…

大王崎、波切神社

安乗崎から海岸線を一気に南下して、次の大きな岬、大王町波切にある大王崎に向かう。大王崎とは、大王埼灯台のある城山から、波切神社のある宮山までを指す。暗礁・岩礁が多く、「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と唄われたほどの航海の難所…

安乗埼灯台

志摩国分寺の東北方約3kmの所に安乗集落がある。的矢湾の入り口に位置し、江戸時代、大坂と江戸を往来する廻船などの風待港として栄え、漁業が盛んだったが、東西の文化の影響も受けた。安乗文楽人形芝居でも知られる。武将九鬼嘉隆が武功をたて安乗神社に…

志摩国分寺跡

横山から鵜方に戻り、なおも東に進んで安乗崎に向かうと、志摩市阿児町国府に天台宗の護国山国分寺がある。この周辺一帯が、志摩国分寺跡に指定されている。 がっしりとした山門の正面に本堂が見渡せる。 天平13年(741)聖武天皇は国家鎮護のため、各国に国…

的矢湾、英虞湾

伊雑宮は、志摩市の北にある磯部町の中心部にあるが、志摩半島東部の細長い的矢湾の西、伊雑ノ浦の最奥に位置している。海辺に近く緑豊かな景色に囲まれるこの辺りを眺めると、志摩国が古くから朝廷や神宮の「御食つ(みけつ)国」とされていたことが頷ける…

伊雜宮

外宮参観の後、内宮は帰りがけに寄ることにして、伊勢道路を南東に進み、伊雜宮(いざわのみや)を訪れた。「いぞうぐう」とも呼ばれ、一般に伊雑宮と雜の常用漢字体を雑の新字体で表すことが多い。皇大神宮(内宮)の別宮で、内宮背後の島路山を越えた志摩…

外宮参道、伊勢うどん

別宮3つの後は、神楽殿と九丈殿の間を北に裏参道を進む。五丈殿を過ぎると鬱蒼とした杜となり、やがて左手に切妻造二重板葺きの忌火屋殿が垣間見える。ここでの「忌火」とは、不吉な意味ではなく清浄な火を意味し、御火鑚具(みひきりぐ)を用いて清浄な火…

外宮、別宮

細長い御池に掛かる平たい「亀石」という石橋を渡ると、多賀宮をはじめとする別宮がある。別宮(べつぐう)とは、正宮の「わけみや」という意味で、正宮の次に位置付けられている。外宮の4つの別宮のうち神域内に3つある。はじめに左手(東)に風宮が建っ…

外宮、正宮

大庭を過ぎると右手に広大な石原が注連で囲まれている。ここは平成25年まで以前の正宮があった場所で、御敷地で古殿地とも称する。奥の方に小さな真新しい覆屋があるが、そこが御正殿の中心で、心御柱(しんのみはしら)が建てられる場所という。心御柱とは…

伊勢神宮、外宮

伊勢神宮は、太陽を神格化した天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ、天照大御神)を祀る皇大神宮(内宮)と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)との2つの正宮(しょうぐう)を中心に、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の…

本居宣長旧宅、松坂城跡

本居宣長記念館のすぐ北側の松坂城跡は松阪公園として整備され、本居宣長の旧宅「鈴屋」もある。現在、松坂城跡に櫓など建物は一切残っていないが、広大な曲輪や石垣が残っている。ここは曲輪の一つである隠居丸跡で、この門の向こうに宣長の旧宅がある。 松…

松阪、本居宣長記念館

7月下旬に松阪と伊勢志摩を巡った。松阪商人で知られる松阪は、近江国日野出身の戦国武将・蒲生氏郷により築城された松坂城を中心に開かれた城下町である。四五百森(よいほのもり)という丘陵上の松坂城跡に、本居宣長記念館および本居宣長の旧宅「鈴屋」…

室生寺のある宇陀市から北東に進むと三重県の名張市に入る。名張から南東に青蓮寺川の上流に行くと紅葉の名所、香落渓(こおちだに)となる。 一帯は室生にて1500万年前に起こった火山の噴火によって堆積した安山岩で構成され、その後浸食され続けて柱状…