半坪ビオトープの日記

月夜見宮


内宮の北にある月讀宮の後、外宮の北にある月夜見宮に向かう。外宮別宮第三位で、外宮の別宮の中では唯一の宮域外にある神社である。伊勢市街地にありながら、境内は楠、欅、杉などが鬱蒼と茂り静けさが保たれている。ほぼ真四角の境内の三方を取り囲む堀は、宮川の支流の名残と考えられている。

祭神として、月夜見尊月夜見尊荒御魂の2柱の神を同じ社殿に祀る。1社殿に2柱の神を祀る別宮は、他に外宮別宮の風宮と内宮別宮の風日祈宮だけである。月夜見尊は、内宮別宮の月讀宮の祭神である月讀尊と同じ神であり、天照大神の弟神である。

由緒は不詳だが、古くは高河原と呼ばれ、農耕の神を祀る神社であったという。延長5年(927)の『延喜大神宮式』では外宮摂社の首位とされた。『止由気宮儀式帳』では「月讀神社」、『延喜式神名帳』では「月夜見神社」、『伊勢大神宮式』では「月夜見社」と記載する。承元4年(1210)に別宮に昇格した。明治時代に外宮別宮は「月夜見宮」、内宮別宮は「月讀宮」と表記するようになった。

月夜見宮の社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木をもつ萱葺の神明造で南面している。周囲には瑞垣を巡らし、瑞垣御門と鳥居がある。遷宮のための古殿地は西に隣接している。外宮に準じた祭事が行われ、祈念、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛がある。

社殿手前には注連縄の張られた祓所がある。祭事にはここで神饌および神職、小工が修祓を受ける。

祓所のすぐ左隣に堂々とした大楠がある。樹齢400年、樹高20m、幹周7.8mで、社を見守る御神木である。

月夜見宮の社殿の右手後方には、外宮の第10位の摂社である高河原神社が建っている。社殿は神明造の板葺で、玉垣に囲まれている。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていないが、高河原神社には置かれている。
祭神は多くの古書で、月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)とされるが、鎮座地周辺は宮川の高河原で、周辺地域の土地開拓の守護神である。延長5年(927)の『延喜式神名帳』では「川原坐国生神社」として記載され、『止由気宮儀式帳』にも「高河原社」として記載される。応永26年(1419)に焼失後、祭祀が行われなくなり、近世には社地不明となるが、寛文3年(1663)に大宮司河邊精長により現在地に再興された。

月夜見宮の社殿の左隣の古殿地のさらに左に、古ぼけた鳥居が垣間見える。

近づいてみると落雷のような跡がある、大楠の陰に石祠が祀られている。狐の神使が見守っているので、稲荷であることがわかる。月夜見宮は戦中の宇治山田空襲で周辺が全て焼かれた際、萱葺屋根に突き刺さった焼夷弾が不発だったため、月夜見宮の社殿だけが焼け跡に残ったという。戦後、月夜見宮には奉賛会が結成されているが、山田空襲で焼夷弾が投下された時、この大楠が焼かれたが、そのおかげで地域が守られたとして、祠を建てて感謝し祀るようになったという。