半坪ビオトープの日記

月讀宮


猿田彦神社から1.5kmほど北東に、内宮の別宮である月讀宮がある。祭神は月讀尊で、「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされる。外宮と内宮を結ぶ御幸道路に面して表参道口があるが、ここは国道23号側の裏参道口である。

こんもりと茂った森の中の裏参道を進むとすぐ右手に、内宮末社の葭原(あしはら)神社が建っている。まだ遷宮されていないためか古びているが、社殿は内宮に準じ、内削ぎの千木と偶数の4本の鰹木に板葺の神明造である。祭神として、佐佐津比古命宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)、伊加利比売命を祀る。佐佐津比古命は、須佐之男神の子である、穀物の神である大歳神の子である。宇加乃御玉御祖命は、稲荷神である宇迦御魂神と同じとされる。いずれも田畑を守護する五穀の神とされる。

さらに参道を進むと、真新しい社殿が横にずらりと並んでいる。正面右手のわずかに一回り大きい社殿が、月讀宮である。その右に月讀荒御魂宮、左に伊佐奈岐宮、左端に伊佐奈弥宮と、神明造の社殿が四つも並んでいる様は壮観である。

中央右手の月讀宮は、天照大神の弟神の月讀尊が祭神なので、内宮の別宮としては、天照大神の荒御魂を祭神とする荒祭宮に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮である。由緒は不詳だが、延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳』に「月讀宮一院、正殿四区」で、一囲の瑞牆内に祀られていたと記されており、別宮4社あわせて「月讀宮」と呼ばれていた。延長5年(927)の延喜式によれば、当時、伊佐奈岐宮伊佐奈弥宮月讀宮と月讀荒御魂宮がそれぞれ一院となっていたとされ、明治6年(1873)より個別の瑞牆を持つ現在の形になった。

内宮に準じた祭事が行われ、祈念、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛がある。

月讀宮の右手には月讀荒御魂宮が建っている。祭神は月讀尊荒御魂が祀られている。別宮4社の社殿はほぼ同じで、祭神が男神か女神かに関係なく内宮に準じ、内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木をもつ萱葺の神明造で南面している。

月讀宮の左手には伊佐奈岐宮が建っている。祭神は伊弉諾尊である。遷宮のための古殿地は、通常は東西に隣接するが、月讀宮では南北であり、隣接せず裏手にある。

伊佐奈岐宮のさらに左手には伊佐奈弥宮が建っている。祭神は伊弉諾尊である。月讀尊は月の神とされ、天照大神の弟神であり、素戔嗚尊の兄神にあたる。『古事記』では、伊耶那岐命が黄泉国から逃げ帰って禊をした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大御神、鼻から生まれた建速須佐之男命と共に三柱の貴子を成す。『日本書紀』では、伊弉諾尊伊弉冉尊の間に生まれたという。記紀神話ではアマテラスとスサノオの話はかなり多いが、ツクヨミはほとんど登場せず性別も定かではない。また、伊勢神宮の別宮及び摂末社では、スサノオが祀られていないので、ツクヨミスサノオの別名と考える説もある。

境内には他に宿衛屋と祓所がある。これが祓所である。