半坪ビオトープの日記

山形

成島八幡神社

堂森善光寺は米沢市街地の南東にあるが、正反対の北西の外れに、米沢で最も古い由緒を伝える成島八幡神社がある。鬼面川西岸の丘陵上に位置し、成島八幡宮ともいう。鳥居の先には小さな社が祀られているが、参道はその前を左に曲がって伸びている。 境内は鬱…

十王堂、前田慶次供養塔

平成10年に十王像、地蔵菩薩、奪衣婆像を復元修理し、仁王門から阿弥陀堂へ通じる参道に十王堂を建立した。十王とは、人が死後、亡者となって冥界に行き取り調べを受けるときの裁判官である十人の王のことである。 亡者は、初七日は「泰広王」二・七日は「初…

堂森善光寺

米沢市万世町堂森にある松心山光照院善光寺は、真言宗豊山派の寺院で出羽善光寺とも呼ばれている。元禄8年(1695)に描かれた古図、米陽八景の一部・堂森秋月の図(市立米沢図書館蔵)の中に、当時の仁王門が見られる。しかし宝暦13年(1763)の火災で焼失…

湯の沢間欠泉

米沢の東から南にかけては、白布温泉などの米沢八湯があるが、米沢の西の方にも飯豊、小国の秘湯がいくつかある。飯豊町にある湯の沢間欠泉湯の華は、飯豊山(2,105m)の東、飯盛山(1,596m)の麓、標高800mにある秘湯である。米沢市内からは西に約40km山の…

上杉家菩提寺

こちらは杉原常陸介親憲の墓である。上杉麾下十三人衆の一人で、川中島の戦いにて武功を挙げて謙信より賞賛され、越後国北蒲原郡水原を本拠とする水原氏を継ぐことを許され、後に杉原と改名した。 武田家墓所の左側には、門と柵で囲まれた上杉家墓所がある。…

林泉寺、直江兼続墓所

上杉神社の南に曹洞宗の春日山林泉寺がある。明応5年(1496)越後守護代の長尾能景が、亡父重景を祀るため春日山城(上越市)の麓に創建・開基した林泉寺を元とする。上杉氏の転封に伴い、上杉景勝の実母(謙信の姉)仙洞院が、元和3年(1617)に米沢に移…

法音寺

上杉家廟所のすぐ手前に八海山法音寺がある。上杉家歴代藩主の菩提寺で、真言宗豊山派の寺院である。ちなみに、真言宗寺院を菩提寺とする大名は、上杉家だけであるという。 境内に入るとすぐ右手の建屋の中に、延命子育聖観世音菩薩が立っている。その左には…

歴代藩主廟

戦国武将の中でも名高い上杉謙信が越後国春日山城に没すると、その遺骸は甲冑を身に纏った姿で甕に納められ漆を流し込んで埋葬された。後継者の上杉景勝が越後から会津、さらに米沢と移動の際にも、謙信の霊柩も一緒に運び、米沢城本丸に御堂を建立しそこに…

米沢藩主上杉家墓所

米沢市街地の西端に上杉家廟所がある。先ほどの法泉寺のほか林泉寺にも小さな上杉家廟所があるが、ここは国の史跡に指定されており、史跡名は米沢藩主上杉家墓所という。米沢市民は敬意を込めて「御霊屋(おたまや)」と呼んでいる。 上杉家の家紋は「竹に雀…

文殊堂、庭園

法泉寺の北境内奥の文殊堂は、二代目の絶山和尚が学問所・禅林文庫の鎮守として、慶安元年(1648)に切戸の文殊(京都府宮津市)を勧請したと伝えられている。元禄2年に立派なお堂が建てられたが、寛政元年、大正6年と二度の火災に遭い、現在の文殊堂は昭…

法泉寺、先聖殿

白子神社のすぐ西の堀立川を渡った所に恵日山法泉寺がある。元和4年(1618)上杉景勝を開基として、直江兼続によって創建された臨済宗妙心寺派の寺院で、当初は禅林寺と称した。兼続は那須黒羽の名刹・雲厳寺の九山和尚を呼び寄せ、兼続や足利学校で九山が…

白子神社

上杉神社の真北、米沢警察署の左隣に何やら古めかしい白子神社がある。 江戸時代の城下地図より、旧名は白子大明神とわかる。一の鳥居をくぐると左手に小さな末社が祀られているが詳細は分からない。この神社が養蚕に由来するので、蚕菅神社あるいは蚕影神社…

東源寺、北山原殉教遺跡

米沢市内北の北寺町通りに、曹洞宗の萬用山東源寺がある。文明8年(1476)、僧覚永により信州水内郡泉郷に創建され、上杉氏の家臣となった尾崎氏とともに、会津、米沢と移転し、正保2年(1645)米沢の恩人直江兼続の霊を祀るため、当地に伽藍を建立し兼続…

松岬神社、上杉博物館

上杉神社から戻って来ると、舞鶴橋を渡って左手に松岬神社がある。上杉神社の摂社である。 上杉神社に合祀されていた上杉鷹山は、明治35年(1902)二の丸御殿跡に設けた松岬神社に移されたので、この年を創建とする。 その後、上杉景勝、直江兼続、鷹山の師…

福徳稲荷神社

明けましておめでとうございます。また、米沢の史跡巡りを続けます。 上杉神社再建の設計者である伊東忠太は、明治神宮や平安神宮の設計でも知られる。 忠太自身が「殊に本殿廻りの一区はよく引きしまり落ち着きがあって清純純潔の感が深い」と感想を述べて…

米沢城跡、上杉神社

米沢市内に入りまず訪れたのは、上杉神社がある米沢城跡である。米沢城は、暦仁元年(1238)長井荘地頭大江時広が城館を置いたことに始まるという。戦国時代末に秀吉は上杉景勝を会津に、その家臣直江兼続を米沢に入れた。兼続が築いた米沢城は、天守閣や高…

大師堂、三重塔

観音堂の右手に弘法大師堂が建っている。昭和59年に弘法大師生誕1200年を記念して建立された。 前住職清昭和上が高野山と四国八十八ヶ所を巡拝し持ち帰った聖地の石を堂内の宝前に巡らして、踏んで巡れるようにしてある。 弘法大師堂の裏手の森の中に三重塔…

延命地蔵、観音堂

参道右手奥に大きな延命地蔵菩薩が祀られている。天保3年(1832)米沢の豪商渡部伊右ェ門広繁が建立した。基礎及び台座は米沢の赤崩石、身体は上山の川流石で造られ、総高さ約5mの県南一の石像で、費用は450両といわれる。 笹野観音堂は、昔、坂上田村麻呂…

笹野観音堂、仁王門

白布温泉から米沢市内へ向う途中、左手に笹野観音堂がある。天保11年(1840)に民家より出火して以前の仁王門は焼失した。現在の仁王門は明治6年、米沢の豪商渡部伊右ェ門広繁・広豊親子が南原の常慶院より買い受け移築して再建された。 仁王の堅固な身体に…

新高湯温泉

白布湯元駅からロープウェイの右手奥にあるダートの坂を上って行くと新高湯温泉にたどり着く。姥湯温泉、大平温泉などとともに米沢八湯の一つである新高湯温泉は、西吾妻山山麓の秘湯として標高1,126mの山奥にある源泉源流の温泉宿である。 文政4年(1821)…

下山の道

下山するとなると足取りも軽くなる。梵天岩からの急坂を下り始めると視界も開けている。右奥の山は東吾妻山で、左奥の一番高い山は一切経山である。 なおも下って大凹の湿原に出たところで、黄色いスミレを見つけた。キバナノコマノツメ(Viola biflora)で…

梵天岩への急坂

湿原の終わりに大凹の水場がある。少しだが冷たい清水が落ちてくる。 いよいよ急坂を登り始めようとするとき、道端にアザミが咲いていた。ナンブタカネアザミ(Cirsium nambuense)である。岩手山、栗駒山、鳥海山、月山、飯豊山地、西吾妻山の高山帯の草地…

大凹、いろは沼

視界の開けた人形石から中大巓の裾を左から回り込んで、南に大きく構えている西吾妻山(2,035m)に向う。木道が整備されているので歩きやすい。 後ろを振り返ると、左端の東大巓(1,927m)から右端の中吾妻山(1,930m)に続く山稜の向こうに、一切経山(1,94…

人形石

オオシラビソの樹林の中の薄暗い登山道の視界が開けると、広々とした岩場に出る。東の彼方向こうに見えるのは、東大巓や一切経山、東吾妻山などの山並みである。 翻って南を見ると、これから目指す西吾妻山がどっしりと構えている。 大岩が固まっているとこ…

北望台

北望台(1,820m)の左手に五名峰展望台があり、飯豊・朝日・月山・鳥海・蔵王と五つの日本百名山が見渡せるということだが、遥か彼方は霞んでいて確認できなかった。 北望台の右手に「至人形石」と書かれた道標があったが、西吾妻山の登山口としては分かり難い…

天元台高原

9月下旬に山形県の西吾妻山に登り、米沢周辺を見て回った。福島飯坂ICから米沢を経由して南下し、白布温泉からロープウェイに乗って天元台に向う。 全市町村に温泉が湧く温泉王国、山形。県南に位置する米沢には、個性的な名湯・秘湯が集まり米沢八湯がある…

立谷川を挟んで山寺の向いの山里に山寺芭蕉記念館がある。芭蕉が山寺を訪れてから300年目の平成元年に建てられた。 常設展示として芭蕉の真蹟や関連資料で芭蕉の生涯をたどるとしている。「はるもやゝ」発句画賛(芭蕉筆、森川許六画)、「世にふるも」句文…

開山堂から下りる時にも性相院、金乗院、中性院と山内支院など山寺の建物の多くの配置が確認できる。 さらに下を見下ろすと、黒い仁王門、無住の観明院、見上げると遥か右上に釈迦堂が認められる。 後は下る一方だが、道端に日本中の山野に自生するエンレイ…

中性院から階段を上って西に歩くと華蔵院の手前に岩窟にすっぽりと納められた三重小塔がある。十穀静允の作で静運が寄進、永正16年(1519)との銘がある。高さ2.4mほどの柿葺きの木造小塔で、全国最小であり、国の重文に指定されている。 その先の華蔵院…

中性院は、本尊として阿弥陀如来を安置している。背後の岩窟に新庄藩戸沢候代々の墓碑がある。 明治初頭、不動院・中之院を合併吸収したという。 中性院の向かいに何の説明板もない小さな小屋があるが、これは最上義光(もがみよしあき)の霊屋(おたまや)…