半坪ビオトープの日記


中性院から階段を上って西に歩くと華蔵院の手前に岩窟にすっぽりと納められた三重小塔がある。十穀静允の作で静運が寄進、永正16年(1519)との銘がある。高さ2.4mほどの柿葺きの木造小塔で、全国最小であり、国の重文に指定されている。

その先の華蔵院は、本尊として慈覚大師作という観世音菩薩を安置している。慈覚大師の住坊と伝えられるが拝観禁止となっている。

華蔵院の下の道を西に進むと、開山堂が堂々と構えている。開山堂は慈覚大師の廟所で、第65世情田和尚が嘉永4年(1851)に再建した。堂内には大師の座像が安置され、千年以上にわたって香煙をくゆらし続ける不滅の「常香」がある。
開山堂の背後の崖下に慈覚大師の遺骸を納めた入定窟があるそうだ。昭和23/24年に調査が行われ、慈覚大師のものと推定される遺骸は金棺に納められていたが、頭蓋骨の代わりに平安初期の木彫りの頭像が安置されていたという。

開山堂の左、百丈岩の絶壁の頂きに建つ納経堂は、立石寺一山の衆徒が奥之院で書写した経文を安置するところで、慶長4年(1599)山形城主最上義光の祈念により、その家臣菱和田讃岐守が修造した。開山当初の創建だが再建がいつかは不明という。
納経堂の左手彼方には、山寺の山里が見下ろせるし、納経堂から谷を隔てた向かいの崖上には、釈迦堂が見える。

開山堂の右に進むと、五大堂が建っている。道の脇には、イカリソウ日本海地域変種、クリーム色のキバナイカリソウ(Epimedium grandiflorum ssp. koreanum)が咲いていた。

五大堂は、正徳4年(1714)に再建された舞台造りの御堂で、大不動明王・東降三世明王など五大明王を安置している。

五大堂からの景観は山寺随一とされる。山寺の山里にある山寺芭蕉記念館が見下ろせるし、その先にはまだ雪の残る面白山を中心にした山並みが見える。