半坪ビオトープの日記


中性院は、本尊として阿弥陀如来を安置している。背後の岩窟に新庄藩戸沢候代々の墓碑がある。

明治初頭、不動院・中之院を合併吸収したという。

中性院の向かいに何の説明板もない小さな小屋があるが、これは最上義光(もがみよしあき)の霊屋(おたまや)である。霊屋とは葬儀の前にしばらく遺体を安置しておく場所で菩提寺と同等の扱いを受けるものである。仙台の瑞鳳殿が豪華で有名だが、ここでは最近まで物置同様の扱いだったという。そもそも立石寺の根本中堂は最上家初代の斯波兼頼が再建したもので、伊達政宗の伯父であり山形藩初代藩主になった最上義光も、立石寺の修理を行い、元亀元年(1570)には立石寺庇護の誓約書を書いている。この粗末な扱いはどこから来ているのかは分からない。

千年以上昔からの「常火」が灯る奥之院は、正式には如法堂で、慈覚大師が国々を巡行の際に持ち歩いたという釈迦牟尼仏多宝如来を本尊として安置している。堂は明治4年に火災に遭ったが、翌年第66世優田和尚が再建した。右の階段脇に大きな金灯籠が見える。日本三大灯籠の一つといわれるそうだ。

この地方では、死者供養のため歯骨を山寺の奥之院納骨堂に納め、卒塔婆や碑を建てる風習がある。
奥之院では、千年以上使っても擦り減らないという硬い石墨と草で作った筆(石墨草筆)を使用して毎日7行半ずつ経文を書写し、4年の歳月をかけて全文を写し終え、閏年の11月28日にそれを納経堂に納めている。

奥之院の左の大仏殿には、丈六(約5m)の金色の阿弥陀如来像が安置され、毎日卒塔婆供養が行われている。大仏は残念ながら撮影禁止である。

奥之院全体を見上げる場所から左に見える白壁の土蔵が一切経蔵である。