半坪ビオトープの日記


弥陀洞を過ぎると左手上に仁王門が見えてくる。仁王門は参道の中腹にある入母屋の単層門で、周囲の景観と一体化し山寺の象徴的な景観の一つとなっている。

嘉永元年(1848)に第65世・情田和尚により再建された、けやき材の優美な門で、左右に安置された仁王尊像は、運慶の末裔・平井源七郎作と伝えられる。

後方の閻魔王がこの門を通る人の過去の行いを記録するという。

さらに石段を上っていくと観明院、性相院と山内支院が続いて現れてくるのが見える。観明院は本尊として阿弥陀如来を安置して、昔は卒塔婆書写場に使用されたが、現在は無住である。石段脇の岩に、キケマン(コリダリス)属のミヤマキケマン(Corydalis pallida var. tenuis)が勢いよく咲いていた。

山寺には江戸時代まで12の塔中支院があり、多くの僧が修行に励んでいた。今は性相院・金乗院・中性院・華蔵院の4つの支院がその面影を残している。
性相院の本尊は、慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来で、ほかに運慶作と伝えられる毘沙門天像が安置されている。また、最上氏出身の伊達正宗の生母・義姫の日牌(にっぱい。位牌を安置して供養)所となっている。明治初頭に極楽院・澤之院(善行院)を合併吸収したという。

金乗院は、本尊として延命地蔵菩薩を安置している。ほかに千体地蔵や不動明王を安置している。寺は天保11年(1840)澄明旭海により再建されたという。平泉藤原三代秀衡の日牌所である。

金乗院の前庭から東の山側を眺めると胎内堂が見える。その手前に胎内くぐりという岩穴があり、そこを通って胎内堂に行くことができるという。遥か彼方の崖上に釈迦堂が見える。
胎内くぐりから釈迦堂、地獄谷は修行僧の行場とされ、一般の人は立ち入り禁止となっている。