半坪ビオトープの日記

滋賀

伊吹山

いよいよ一週間を超える旅も最終日を迎えた。長浜から東京まで約430kmを一気に帰るのだが、途中、琵琶湖の東にそびえる伊吹山に立ち寄った。琵琶湖東岸を南下すると左手に絶えず伊吹山地が見えるが、その主峰が伊吹山であり高さは1,377mある。古くから神が宿…

竹生島、宝厳寺

唐門の前から右手に近道の石段があるのでそこを上がっていくと、右手に西国三十三ヶ所観世音奉安殿が建っている。 この奉安殿には、西国三十三ヶ所霊場の観世音菩薩をまとめて安置してあるので、ここを参拝することで西国巡礼を経たのと同じ霊験を得られると…

竹生島、都久夫須麻神社

竹生島は、琵琶湖北部の沖合約6kmに浮かぶ周囲2kmあまりの小島であり、島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岸壁で囲まれている。針葉樹で覆われた中に寺社が点在する風景の美しさで古来より知られ、琵琶湖八景(1950)に「深緑竹生島の沈影」とし…

長浜、大通寺

敦賀市南の野坂山地を超えると滋賀県長浜市に入り、日本最大の琵琶湖が見えてくる。琵琶湖東岸を南下するとまもなく長浜市街地となる。長浜港から竹生島へ向かう観光船から、復元された長浜城の模擬天守が見える。旧長浜城は羽柴秀吉が築城した。天正元年(1…

日牟禮八幡宮、大嶋神社

境内に入ると拝殿の手前に能舞台が建っている。明治32年(1899)の能舞台改築の際、日牟禮八幡宮の能楽「ひむれもうで」が完成し、この舞台で初演されたという。観世流の能楽で、久しく演じられていなかったが、平成5年以来、近江八幡薪能として演じられる…

日牟禮八幡宮、本殿

琵琶湖に面する近江八幡市は、陸上と湖上の交通の要所として、中世以降多くの城が築かれ、豊臣秀次が築いた城下町を基礎とし、近江商人の活躍する商業都市として発展した。市内には小高い山が平野に浮かぶように点在するが、八幡山(283.8m)の南麓には日牟…

長寿寺、本堂

長寿寺は、貞観年中(859~77)に焼失したが、同年間に復元され、現在に至ると伝わる。正確な建築年代は不詳だが、藤原時代の名残をとどめつつも、建築様式や手法により、鎌倉時代前期に建てられたものと考えられている。桁行5間、梁間5間の方5間、一重寄…

長寿寺、白山神社

湖南三山の最後は、常楽寺のすぐ南東にある長寿寺である。常楽寺と同じく阿星山の麓に位置し、山号は同じ阿星山である。同じ地区にある常楽寺の「西寺」に対して、「東寺」と呼ばれている。「長寿」というめでたい名のこのお寺は、湖南三山の中でも歴史が最…

常楽寺

善水寺の西に、湖南三山の長寿寺と常楽寺がある。常楽寺の境内に入るとすぐ正面に本堂が建っている。阿星山の北麓に位置し、山号は阿星山、同じ地区にある長寿寺の「東寺」に対して、「西寺」と呼ばれている。創建等については不詳だが、寺伝では、和銅年間…

善水寺

苗村神社のある竜王町の南、湖南市に点在する国宝級の名刹、善水寺・常楽寺・長寿寺は「湖南三山」と呼ばれている。三山の中で一番北にある天台宗の善水寺は、標高405mの岩根山の中腹にあり、山号を岩根山、院号は医王院という。 長い参道の脇には観音堂や地…

苗村神社、東本殿

苗村神社西本殿の大きな楼門の右手には、祭りで唱えられる掛け声の大きな石碑と由来碑が立っている。祭の掛け声「雲生井戸掛 大穂生 惣禮詣與下露」(うんしょう いどかけ おおぼしょう それもよかろう)を書き表した石碑は、平成25年に楼門横に建立されてい…

苗村神社、西本殿

翌朝、湖南三山を巡る前に、竜王町にある苗村神社を訪ねた。創祀は不詳だが、付近に古墳群が多く、祖霊信仰に始まる神社とされる。延喜式神名帳に、地名の那牟羅と同音の長寸(なむら、長は最高位、寸は村の古字)神社として列座する式内社。近郷の33ヶ村に…

日吉大社、東本宮

東本宮の正面入り口に建つ楼門は、信長焼き討ちの後、天正年間から文禄2年(1573~93)頃に建てられた。3間1戸、2層の楼門で、屋根は入母屋造桧皮葺。軒廻り、腰組の組物は、格式の高い三手先で、一階部分は高く、二階部分が低いためスラリとした均整のと…

日吉大社、西本宮本殿

日吉大社について文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近江海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見だが、これは日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである。日枝の山とは後の比叡山のことである。日吉大社は崇…

日吉大社西本宮、宇佐宮

比叡山の麓、大津市坂本に日吉大社がある。全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社であり、通称として山王権現とも呼ばれる。西本宮と東本宮を中心に40万㎡の境内は、国の史跡に指定されている。 西本宮の駐車場から境内の参観を始めると、右手に白…

浮御堂

横川から北西に比叡山を下ると、琵琶湖岸に近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂がある。浮御堂は、臨済宗大徳寺派の海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂で「堅田の浮御堂」の通称でも知られる。山門は、禅宗の寺院でよく見かける龍宮造の門で、下部は…

延暦寺、横川

西塔からさらに4kmほど離れた、延暦寺三塔の中で一番北の横川地域は、慈覚大師円仁によって開かれ、源信・親鸞・道元・日蓮など、後に名僧といわれた人たちが修行に入った地である。参道沿いには親鸞・道元・日蓮の誕生から入滅までの一生を描いた「布教伝…

延暦寺、西塔

東塔から北へ1kmほどのところに、延暦寺西塔がある。第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれた。本堂にあたる釈迦堂を中心に、修行のお堂である担い堂などが点在する。担い堂や釈迦堂に向かうとすぐに五重照隅塔があり、近くに小さな箕淵弁財天がある。…

延暦寺東塔、文殊楼

根本中堂の真東の高台に建つ文殊楼は、延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を上ってくると、まずこの門を潜ることになる。慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って建立を開始し、円仁示寂後の貞観6年(864)に創建したものだが、その後何度も焼失し寛文…

延暦寺東塔、根本中堂

大講堂前からさらに進むと、広場の右手に一隅会館という休憩所があり、その右手前に萬拝堂がある。萬拝堂は、日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に奉安し、日夜平和と人類の平安を祈願しているという。 萬拝…

延暦寺東塔、大講堂

比叡山延暦寺は、滋賀県大津市の西部、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。平安時代初期の僧・最澄(伝教大師)により開かれた日本天台宗の総本山であり、日本仏教の母山とも呼ばれる。一般に比叡山または叡山と呼ばれ、また北嶺とも称された。 比叡山延…

三井寺、微妙寺

灌頂堂の前を左に進むと、唐院の表門いわゆる唐院四脚門から唐院を出ることになる。見返れば、四脚門の中に灌頂堂が見える。重文に指定されているこの四脚門は、寛永元年(1624)に建立され、当初は棟門形式だったのが、まもなく四脚門に変更されたとされる。…

三井寺、一切経蔵

閼伽井屋の裏手に進むと、右手に熊野権現社が建っている。智証大師が入唐求法され、大峰・熊野三山に入峯練行された事績に則り、平治元年(1159)当地に熊野権現を勧請し、三井修験道の鎮神とされた。現社殿は天保3年(1837)の再建である。本尊として、吉…

三井寺、金堂

琵琶湖を見下ろす園城寺は、古くから日本四箇大寺(東大寺・延暦寺・興福寺・園城寺)の一つに数えられ、延暦寺を総本山とする天台宗山門派とは別れている、天台寺門宗の総本山である。山号は長等山で、一般には三井寺と呼ばれている。 一般に仁王門と呼ばれ…

石山寺、多宝塔

経蔵の左に宝篋印塔が二つ建っているが、詳細は不明である。 経蔵の右側にも宝篋印塔がある。こちらの珍しい三重宝篋印塔は、高さ260cm、花崗岩製の鎌倉時代中期の作で、重要美術品に指定されている。初層軸部には、像高約20cmの蓮華座に坐す顕教四仏を半肉…

石山寺、本堂

拝観受付の先、すぐ右手に小さな池があり、石山寺の特徴である硅灰石でできたくぐり岩が見える。10mほどの自然にできた胎内くぐりの穴だが、狭くて岩に触れ服が汚れる。 くぐり岩の先で右手の石段を上がると、途中左手に社が建っているが、詳細はわからない。…

石山寺、大黒堂

湖南で泊まった翌朝、大津市の石山寺を訪れた。駐車場から東大門へ向かう途中、左手の植え込みに芭蕉の句碑があった。 「石山の石より白し秋の風」元禄3年(1690)芭蕉は石山寺のそばの幻住庵に一夏を過ごしているが、この句は元禄2年、加賀の那谷寺で詠ま…

永源寺、法堂

鐘楼の左手にある大きな方丈は、明和2年(1765)に建立され、国内屈指の葭葺屋根の広さ(約1000㎡)が有名だが、残念ながら修理中でまったく拝観できなかった。鐘楼の先には禅堂が建っている。禅堂ではもちろん座禅が行われる。 「普照」と書かれた額が掲げ…

永源寺、山門

西明寺・金剛輪寺・百済寺の湖東三山は、関西屈指の紅葉の名所としても知られるが、三山の南に位置する永源寺も近江随一の美しさと称される紅葉のトンネルが有名で、合わせて紅葉の時期には大勢の参拝客で賑わう。永源寺は愛知(えち)川(音無川)右岸にあ…

百済寺、本堂

歴史を感じさせる石垣参道に合流し、古い石畳を踏みしめながら上っていくと、仁王門が見えてくる。旧本坊喜見院跡が参道の右手にある。参道両側にはかつては約300坊あったという僧坊跡が残されているが、こうした広い百済寺境内は、国の史跡に指定されている…