半坪ビオトープの日記

善水寺


苗村神社のある竜王町の南、湖南市に点在する国宝級の名刹善水寺常楽寺・長寿寺は「湖南三山」と呼ばれている。三山の中で一番北にある天台宗善水寺は、標高405mの岩根山の中腹にあり、山号を岩根山、院号は医王院という。
長い参道の脇には観音堂地蔵堂があるが、駐車場は本堂などが建つ高台の境内にあり、本堂の左手前に鐘楼堂が建っている。寛文3年(1663)建立で、天保5年(1834)に石垣が新調されている。

善水寺の縁起は不詳だが、寺伝によると、和銅年間(708~15)元明天皇の勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号したという。延暦年間(782~806)伝教大師最澄比叡山を開創の折、堂舎建立の用材を甲賀の地に求めた。しかし切り出した材木が日照り続きで川水が少なくうまく流せない。請雨祈祷のため浄地を探し、当地の山中に至り、百伝池の中より勧請した薬師仏を本尊とした祈祷の甲斐あって大雨が降り、材は川を下り比叡の麓に着いたという。その後、桓武天皇の病の際、霊仏出現の池水を以って薬師仏にて病気平癒の祈祷を行い、霊水を天皇に献上したところ、たちまち平癒された。この縁により岩根山善水寺の寺号を賜ったという。

本堂は、木造入母屋造桧皮葺、桁行7間、梁間5間、貞治5年(1366)の再建で、国宝に指定されている。前2間通りが礼堂(外陣)、中2間通りが正堂(内陣)、後1間が後戸、後戸には5間幅の張り出しが付く。礼堂の周囲は、内開きの蔀戸。正面に向拝を付けない。礼堂内部は、中央の2本の柱を省略し、通常は虹梁を前後方向に架けるところ、桁行方向に3間幅で大虹梁を掛け渡している。さらに通常の梁の位置には華麗な彫刻の施された挙鼻が設けられている。

本堂内には、正暦4年(993)作の本尊薬師如来秘仏)や、天平時代作の金銅釈迦誕生仏など30余躯の仏像を安置し、その多くが国の重文に指定されているが、撮影禁止の為パンフの切り抜きを載せる。写真上部に帝釈天、中段に四天王の持国天増長天、下段に十二神将が安置されている。

上部に梵天、中段に四天王の多聞天広目天、下段に十二神将が安置されている。

左に不動明王、中央に兜跋毘沙門天、右に増長天が安置されている。

本堂の手前、左手の鐘楼堂に向かい合うように、右手に元三大師堂が建っている。3間四方、宝形造桟瓦葺で、正徳3年(1713)の再建である。

比叡山延暦寺中興の祖、良源・元三大師を祀る。

須弥壇厨子内、鏡のすぐ上に、本尊の元三慈恵大師良源大僧正の等身大の尊像の顔が垣間見えるのだが、暗くてよく撮れなかった。

本堂と元三大師堂の間、右手に最澄が中から薬師如来像を勧請したという百伝池がある。古来より、ももつての池と読むそうだが、岩根の池ともいうようだ。小さいながら一応、池泉回遊式庭園である。

百伝池の右手前に霊水場があり、その間に参道の石段があり、六所権現堂へ続いている。善水寺の鎮守社で、伊勢・春日・八幡・賀茂・熱田・鹿島の六所の神々を奉安している。

六所権現堂への石段の右手には、善水元水という霊水が流れ落ちていて、その由来が書かれた石碑もある。その右の大きな石塔は、法華塔である。