半坪ビオトープの日記

長寿寺、白山神社


湖南三山の最後は、常楽寺のすぐ南東にある長寿寺である。常楽寺と同じく阿星山の麓に位置し、山号は同じ阿星山である。同じ地区にある常楽寺の「西寺」に対して、「東寺」と呼ばれている。「長寿」というめでたい名のこのお寺は、湖南三山の中でも歴史が最も古く、国宝に指定されたのも全国で17番目という。桧皮葺の小ぶりの山門が微笑ましい。紅葉時期にはモミジに囲まれるそうだ。

低い石垣に囲まれた木漏れ日の参道を進むと、すぐ右手に内仏堂がひっそりと建っている。堂内中央には、頭に割れ目の入った「子宝御石」という大きな石が祀られている。

やがて道が二つに分かれる。左手の道は、白山神社の参道である。神仏習合時代の名残だろうが、寺院の参道と神社の参道が二つほぼ対等に並んでいるのは珍しい。

右の参道を進むとまもなく、右手に堂々たる多宝塔が建っている。高さ約364cm、基礎の幅約170cm、下層笠の幅約136cmの花崗岩製。聖武天皇の菩提を弔うため鎌倉時代に建立されたというが、相輪が欠けていることに加え銘が不明なため、湖南市文化財に指定されているだけだが、重厚な姿は味わい深い。

いよいよ参道の正面に本堂が見えてくる。本堂の右手前には、桧皮葺の鐘楼堂が建っているが、詳細はわからない。

長寿寺の創建は、寺伝によると、奈良時代に遡る。聖武天皇天平年中(729~48)良弁僧正により建立された勅願寺に始まるという。聖武天皇は大仏造営のため信楽宮に遷都したが、世継ぎがなかったので良弁に祈請させたところ、良弁は阿星山中の瀑布に籠り祈った結果、まもなく降誕をみるに至った。そこで天皇信楽宮の鬼門に当たる東寺に七堂伽藍、二十四坊の寺を建立し、皇女の長寿を願い長寿寺という寺号をおくったという。

本堂の手前の小さな池中に弁天堂が建っている。桁行1間、梁間1間、一重入母屋造桧皮葺で、正面に軒唐破風を付ける。解体修理により、天文19年(1550)の墨書があったが、鬼瓦には文明6年(1474)、堂内厨子に文明8年(1476)の銘があり、文明年間の建立とされ、国の重文に指定されている。堂内には高さ約1mの弁財天坐像が祀られている。

長寿寺本堂の西に、白山神社の社殿が隣接している。長寿寺の鎮守社として奈良時代に建立された。手前の拝殿は、桁行3間、梁間3間、入母屋造妻入桧皮葺。柱上に舟肘木をのせ、垂木は1軒疎割りとした簡素な構造。正面3間は方柱の間に格子戸を備える。室町時代後期の建築で、国の重文に指定されている。かつて拝殿内に掲げられていた「板絵三十六歌仙扁額」の裏面に永享8年(1436)の銘があるそうだ。

拝殿の後ろ、石垣の上に白山神社本殿が建っている。祭神として白山比竎神を祀る。境内の西一帯はホコバの森になっており、社殿の北西には長寿寺の三重塔跡が残る。三重塔は享徳3年(1454)に建立されたが、天正4年(1576)織田信長が自ら建立した安土總見寺に移築してしまった。今は礎石のみ残る。