半坪ビオトープの日記

長寿寺、本堂


長寿寺は、貞観年中(859~77)に焼失したが、同年間に復元され、現在に至ると伝わる。正確な建築年代は不詳だが、藤原時代の名残をとどめつつも、建築様式や手法により、鎌倉時代前期に建てられたものと考えられている。桁行5間、梁間5間の方5間、一重寄棟造桧皮葺で、正面に3間の向拝が付いているが、貞治5年(1366)の補作とされる。建築様式は純和様の様式で、屋根の形は「てりむくり」と呼ばれる極めて日本的な、なだらかで美しい反転曲線を描いていて、優れた意匠の建造物とされ、国宝に十分値する。
本堂内部は、手前に奥行2間の外陣、続いて奥行2間の内陣、その後ろに1間の後陣が連なる。外観からは一つに見えるが、内部では外陣と内陣が独立した屋根を持ち、二つの建物を巨大な屋根で覆っている。外陣、内陣ともに天井を張らず、棟木や垂木を見せる化粧屋根裏となっている。外陣の屋根は寄棟で、棟木は3本の虹梁上に置かれた、板蟇股という装飾の少ない古式の素朴な蟇股により支えられている。これら外陣と内陣は、格子戸と菱欄間により明確に区切られている。内陣中央の厨子に安置されている本尊は木造地蔵菩薩秘仏)で、脇士は聖観世音菩薩と毘沙門天を安置している。厨子は春日厨子で、内部墨書により文明12年(1480)の建立とみられ、本堂の附けたりとして国宝に指定されている。

本堂の右裏手に収蔵庫があり、丈六阿弥陀如来坐像などの仏像や十六羅漢図などの絵画が展示されている。

本堂も収蔵庫も内部は撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せる。本堂内陣にある、板葺の一間造春日厨子の中に安置されている、本尊の地蔵菩薩(子安地蔵尊)は秘仏のため、開帳は50年に一度とされている。

春日厨子の左右には、釈迦如来阿弥陀如来が安置されている。こちらが釈迦如来坐像。藤原時代作、皆金色、寄木造、高さ1.77mで、国の重文に指定されている。

こちらが阿弥陀如来坐像。藤原時代作、皆金色、寄木造、高さ1.42m、定印、二重敷茄子の立派な蓮座に坐し、美しい唐草をきりすかした二重円光を負う。これも国の重文に指定されている。

こちらは収蔵庫に安置されている丈六の阿弥陀如来坐像。藤原時代作、皆金色、寄木造、高さ約3m、裳懸座上に定印を結ぶ。この大きな仏像も国の重文に指定されている。

こちらは聖観音曼荼羅鎌倉時代作、絹本著色で、県指定の文化財となっている。