半坪ビオトープの日記

常楽寺


善水寺の西に、湖南三山の長寿寺と常楽寺がある。常楽寺の境内に入るとすぐ正面に本堂が建っている。阿星山の北麓に位置し、山号は阿星山、同じ地区にある長寿寺の「東寺」に対して、「西寺」と呼ばれている。創建等については不詳だが、寺伝では、和銅年間(708~15)元明天皇の勅命により、良弁が創建したという。また、香楽宮(742~45)の鬼門鎮護として栄えたとされ、延暦年間(782~806)天台宗に改められたという。平安時代には長寿寺とともに歴代天皇の尊崇が篤く、阿星山五千坊と呼ばれるほどの天台仏教園を形成した。延文5年(1360)火災で全焼したが、同年、観慶らによって再興された。

本堂内には、中央厨子内の本尊の木造千手観世音菩薩坐像(秘仏)をはじめ、多くの仏像が安置されているが、撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せる。
延文5年の火災では、諸堂が全焼、本尊も焼失したが、風神・雷神・二十八部衆は難を逃れた。しかし昭和56年、無住職時代に風神等3体が盗難に遭い、その後、阿修羅王のみ戻った。そのため、中央厨子の左側では、上段左端の風神が欠けている。

中央厨子の右側では、上段右端の雷神はあるが、その手前の摩喉羅迦王が欠けている。本尊の千手観音をはじめ、これらすべての仏像が重文に指定されている。

桁行7間、梁間6間、向拝3間、入母屋像桧皮葺の本堂は、明治35~36年に改修工事、昭和16年に大規模解体工事が行われ、国宝に指定されている。軒は二軒の繁垂木となっており、組物は二手先だが、もとは肘木が一段の出三斗であったものに、もう一度肘木を加えて屋根を上げ、二手先に改造したものであり、そのため軒の下に巡らされている軒支輪が延長されており、通常の軒支輪よりもかなり高く造られているのが特徴的である。

本堂の左手にある石段の上に、堂々たる三重塔が建っている。天台宗寺院の伽藍配置は、本堂よりやや高い場所に三重塔を置くのが習わしだが、これほど近くに一緒に眺められるのは珍しい。

石段の周りにはモミジの木が多く、紅葉の時期には多くの参拝客で賑わうのも頷ける。とりわけ本堂と三重塔を回遊するように、近江西国三十三ヶ所観音の石仏が祀られた遊歩道が巡っていて、伽藍と紅葉が織りなす素晴らしい景観を楽しめることができる。

瓦葺の3間四方、高さ22.8m、周囲の風景と調和した三重塔は、2個の瓦に応永7年(1400)とヘラで記されており、その頃の再建とされる。近江三重塔としては最大規模で、国宝に指定されている。初層には唐戸と連子窓がはめられ、高欄の付いた縁が巡らされている。屋根の軒下は、二軒の繁垂木であり、三層ともに組物は三手先で美しさを備えて力強い。

初層内部には四天柱と来迎壁が立てられ、禅宗様の須弥壇には平安時代作の木造釈迦如来坐像が安置されている。檜の寄木造りで、国の重文に指定されている。

常楽寺には、注意書きが至る所に立てられていて異様な雰囲気があるが、何度も盗難にあったためと思われる。それはさておき、境内に入るとすぐに鐘楼が建っているが、詳細はわからない。

鐘楼の脇には、行者堂・普賢堂・薬師堂が建っている。この薬師堂にはかつて薬師如来像が安置されていたが盗難にあったため、現在は信楽焼の像が安置されている。

ここにも石塔の奥に建物があるが、多分、弁天堂だったと思う。

本堂の前にあるこの石灯籠は、高さ2.6mの花崗岩製で、竿に「応永13年(1406)の造立銘があり、重文に指定されている。