半坪ビオトープの日記

長浜、大通寺


敦賀市南の野坂山地を超えると滋賀県長浜市に入り、日本最大の琵琶湖が見えてくる。琵琶湖東岸を南下するとまもなく長浜市街地となる。長浜港から竹生島へ向かう観光船から、復元された長浜城の模擬天守が見える。旧長浜城羽柴秀吉が築城した。天正元年(1573)に浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、秀吉が当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。同3・4年頃完成し入城。秀吉が最初に築いた居城であった。戦国時代のため城主は転変を繰り返し、大坂の陣後に廃城となった。背景に見える山並みは、伊吹山地である。

琵琶湖の名物グルメといえば、近江牛ステーキや鮒ずし、のっぺいうどん、じゅんじゅん(すき焼き鍋)などいろいろあるが、長浜で是非とも味わいたいと思ったのは、「天然琵琶マスの親子丼」である。大通寺の長浜御坊参道にある「住茂登」が、創業120年を誇る郷土料理の専門店で、冬の「鴨鍋」、夏の琵琶湖天然うなぎ、代々伝わる一子相伝の鮒ずしが絶品という。

「天然琵琶マスの親子丼」は、米コシヒカリの上に琵琶マスを敷き詰め、琵琶マス卵の醤油漬けを贅沢に乗せ、大葉を散らしている。琵琶マスのあら汁もついたセットが嬉しい。評判通りの美味しさで、この数ヶ月後には、地魚料理の全国コンテスト「Fish-1グランプリ」のプライドフィッシュ部門で、2016年のグランプリに選ばれた。

「住茂登」の前の長浜御坊参道を北に進むと、突き当たりに大通寺の大きな山門が構えている。

長浜市にある大通寺は、真宗本廟東本願寺を本山と仰ぎ、正式には真宗大谷派本願寺別院無礙智山大通寺というが、別名は「長浜御坊」、「長浜別院」、「大通寺」とも略称される。
巨大な山門は、33年かけて天保12年(1842)に完成した二層門である。

良質の欅材を利用した重厚な造りで、左右の山廊に階段があり、7月上旬の夏中法要の期間中には2階に上がることができ、釈迦如来を中心に弥勒菩薩と阿難尊者の三尊像が安置され、天井には大塚(山縣)岐鳳による「天女奏楽図」が描かれているのを見られるという。
山門には迫力のある龍をはじめ、随所に早瀬守次による精緻な彫刻が施され、県内屈指の大門として長浜市文化財に指定されている。

大通寺は、湖北の中心道場であった総坊(総会所)を前身とし、慶長7年(1602)に本願寺第12代教如を開基として長浜城跡に創建され、慶安2年(1652)に現在地に移転した。
本堂・阿弥陀堂は、桁行27.7m、梁間25.1mの入母屋造、本瓦葺きで、江戸時代初期の建立とされる。寺伝では、伏見城の殿舎を徳川家康より東本願寺教如へ贈られ、御影堂として用いられたものを、承応年間(1652-54)に移建したものと伝承されるが、初代住職霊瑞院により明暦3年(1657)に新築されたと考えられている。

本堂の正面と東西の三面には広縁と落縁が囲み、その周りに軒柱が取り囲む。内部は本尊を安置する内陣と礼拝する外陣とに大きく分かれている。内陣は奥行3間を上段に構え、中央に仏間その左右に余間をとり、さらに両入側部分に飛檐(ひえん)の間を配した真宗本堂の平面を持つ。

本堂の左には玄関の付いた大広間・庫裏がつながり、広間の後ろには新御座、客殿の含山軒・蘭亭・桜の間が続き、その前後には国の名勝とされる含山軒庭園・蘭亭庭園があり、本堂の背後には御裏庭園がある。本堂・大広間・客殿は国の重文に指定されている。玄関は宝暦10年(1760)に建てられている。

玄関には「群鶴図」「老松図」などの狩野派の襖絵があり、広間には「滝に牡丹唐獅子図」や「飛燕図」などの狩野派の障壁画があり、さらに新御座や含山軒・蘭亭にも多くの障壁画があるのだが、この後竹生島に行く予定があるので、残念ながら省略し、拝観案内だけ載せる。

本堂の右手前(東)には、2階建ての太鼓楼が建ち、行事の時に太鼓が打ち鳴らされる。その手前には仏骨奉安忠魂塔が立つ。

太鼓楼の手前にある鐘楼堂は、延宝3年(1675)に建立されたものであり、檜皮葺、入母屋造の屋根を持つ。

鐘楼堂は方形の蓮池の中に設けられている。ハスの花がちょうど盛りを迎え、鮮やかなピンク色の花びらを可憐に広げていた。