半坪ビオトープの日記

種月寺


青龍寺から400mほど北に、曹洞宗の福地山種月寺がある。入口には六地蔵が祀られている。

山門前の佇まいからして実に趣がある。切妻平入りの山門には、本屋根と直交する別棟の小屋根を付け、扉と控柱とを覆っている高麗門の形式である。

この山門の扉の紋章は「丸に十の字」である。薩摩藩の家紋として知られるが、開山の南英謙宗が薩摩の出身と伝えられているので、その関わりが考えられる。山門は、安政4年(1857)に建立され、明治10年に再建されている。

さらに参道を進むと、廻廊を廻らした重厚な造りの廻廊門があり、その先に本堂が垣間見える。
回廊門は、安政4年(1857)に建立され、昭和62年に補修されている。

種月寺は、文安3年(1446)薩摩出身の曹洞宗の高僧・南英謙宗が、当時の守護・上杉房朝に要請されて開山した。南英謙宗は、五位思想家の第一人者でもあり、種月寺に自筆の「続鼓缶軒記」の墨蹟及び「耕雲種月開基年譜私録」などが保存されている。石瀬は、上杉氏と親しい小国氏の拠点の一つであり、種月寺は小国氏の保護の下で栄えた。本尊は釈迦牟尼仏如来である。
本堂は、桁行13間、梁間10間あり、寄棟造茅葺の堂々たる建物で、国の重文に指定されている。

この本堂は、出雲崎の大工・小黒甚七が棟梁となって、元禄12年(1699)に建立され、平成20年に修理を終えたばかりで、開山堂には火伏せに霊験有りという寺宝の「火防石」が安置されている。

本堂内部は、内陣と位牌堂が板敷きで、その他は畳敷きとなっていて、内陣の背面には開山堂が増築されている。

種月寺は、越後曹洞宗4大道場(耕雲寺・雲洞庵・慈光寺・種月寺)の一つであり、多くの修行僧が修業に励んだ。当時の勢力は大きく、末寺が100余りあったという。現在でも末寺24ヶ寺を有する。「耕雲種月」という禅語があるが、雲を踏んで耕すように、月に種を蒔くがごとくに精進せよ、という禅宗の思想を体現する道場が越後に集まっている。

本堂の右手前には、銀木犀の老木が植えられている。銀木犀は、国の重文である種月寺本堂の再建記念樹として植えられたと考えられている。樹高7m、枝張り10m、推定樹齢300年であり、新潟市文化財に指定されている。