半坪ビオトープの日記

慈照寺


三社神社の東約1kmに曹洞宗慈照寺がある。東南には富士山がよく見えることから、山号は有富山という。創建年代は不明だが、「甲斐国社記・寺記」によれば当初は真言宗寺院で、延徳元年(1489)に真翁宗見が当地に再興し、曹洞宗寺院に改宗したという。中興開基は武田信昌の六男といわれる諸角昌清(豊後守、室住虎光)で、「寺記」によれば川中島の戦いで戦死したと伝わる。境内には法堂を中心に山門、庫院、開山堂など多数の堂宇が建ち並び、法堂裏手には庭園がある。

参道石段を上った石垣の上に立つ山門は、入母屋造銅板葺き3間1戸の楼門で、法堂前に位置する。10世景岫長和の時代にあたる寛永16年(1639)の建立。桁行3間、梁間3間で、上層は挿肘木により支持された腰組に切目縁が四周し、内部には釈迦如来像1躯と五百羅漢像339躯が安置されている。釈迦如来像の造立は室町時代とされ、五百羅漢像の造立は寛文3年(1663)とされる。

初層は吹き放しで、中央1間を通路とし、門扉は設けない。蟇股・木鼻・実肘木の形式が桃山時代の特徴をよく伝えており、均整のとれた優雅な建築物である。

山門を潜ると正面に、曹洞宗寺院に特有の方丈形式の法堂が建っている。寺院の中心的建物で本堂とも称する。桁行12間、梁間8間、一重寄棟造銅板葺き。内部は桁行4列、前後2列の8室。建築様式から桃山時代から江戸時代初期の建立と推定されている。法堂に安置される本尊の釈迦三尊像室町時代の院派仏師の作。禅宗寺院本尊として特徴的な宝冠釈迦如来像を中心に脇侍として文殊菩薩普賢菩薩を配する釈迦三尊像である。
また、慈照寺文書という貴重な古文書も保存されている。永正12年(1515)から慶長年間にわたる16通の古文書で、武田氏の寄進状・安堵状をはじめ、徳川氏・浅野氏・今井氏などの中世・近世文書が含まれている。

法堂の右手には庫院が建ち、法堂と庫院の間には竜王水が湧き出ている。慈照寺境内の湧泉で、「竜王」の地名の由来ともいわれる。水源地は東西2.1m、南北1.75m、深さ0.5mの規模で、赤坂台地と呼ばれる茅ヶ岳火砕流の末端部に出現した湧水であり、古くから地域の重要な水源として利用されてきた。伝承では、慈照寺中興開祖の真翁宗見は釜無川竜王湍と呼ばれる深淵に住む悪龍を済度し、その謝礼として本堂前に清水を湧き出させ、これを「竜王水(竜神水)」と称したという。

法堂の左手に建っているこの建物が開山堂と思われる。

法堂前から境内を見返ると山門の左手に鐘楼堂が建っている。

鐘楼堂に吊られる梵鐘は、高さ1.38m、直径0.75mで、刻銘によると正保4年(1647)に奉納されたものである。

帰りは勝沼ぶどうの丘に寄り、土産にワインを買い求め、山梨名物のほうとうも味わった。これはレスベラトロール(ブドウの皮や葉に多いポリフェノールの一つ)入りほうとう麺である。