半坪ビオトープの日記

青龍寺


浄専寺よりさらに200mほど北に、真言宗豊山派の多宝山青龍寺がある。昔は天台宗だったが江戸時代に真言宗になったという。

天平8年(736)僧行基北陸道を巡察した際、石瀬に開山したと伝えられる真言宗の古刹である。弘法大師越後21ヶ所霊場15番の札所となっている。本尊は薬師如来である。

寺には上杉景勝の書状があり、それによると天神山城主・小国氏の祈願所であったこと、また越後を平定した上杉氏から特権が与えられていたことがわかる。
青龍寺には、どういうわけか日蓮上人自筆の軸が寺宝として保管されているという。

さらに「天の浮舟」ではないかといわれる舟地蔵があり、薬師堂の奥の院から青龍寺に移され祀られているという。本堂入口虹梁上に、波に密教法具の「金剛杵」が彫られているのは珍しい。弘法大師が右手に持っていた「五鈷杵」であると思われる。国上寺で「五鈷掛けの松」を見たように、越後に五鈷が飛来した伝えがあることと関わるのだろう。

本堂の左脇には別の参道が伸びていて、薬師堂、墓地へと続いている。参道入口には六地蔵が三つずつ左右に分かれて祀られている。

青龍寺周辺には、青龍寺遺跡の名で、縄文中期・後期の土器・石器が出土している。この参道の左手にぽつんと鐘楼が建っている。

朱色の薬王橋を渡った参道の奥に、朱色の柱と白壁の美しい薬師堂が建っている。
青龍寺には、「弁慶の笈摺」と伝承される笈が保存され、多宝山系の山岳信仰を証する遺物と推測され、室町時代から桃山時代の作と推定されている。

薬師堂の手前、参道の左右は墓地となっていて、小さめのお堂が左右に建っている。

右の切妻造のお堂の中には、大黒様であろうか、俵に乗った見慣れぬ姿などが垣間見えた。

左の入母屋造のお堂も苔むした石段が目立つが、中の木材はそれほど古くない。

中央には、智拳印を結んだ密教の最大の仏格である大日如来象が安置されている。左には不動明王像が置かれている。