半坪ビオトープの日記

円乗院、円蔵院


千倉町北朝夷に真言宗円蔵院があり、その入口に同じく真言宗の小さな円乗院がある。市指定有形文化財の木造薬師如来坐像が安置されている薬師堂の前に案内板がある。「東福寺薬師如来之縁起」によると、大同元年(806)当時の五十田の峯に一沙門が開基されたとされ、現在の場所に移されたのは文政3年(1446)に梶原成高と家臣赤澤兵庫頭森氏五郎左衛門によってである。当像は前後割矧ぎの一本造という古様な藤原様式を示すなど定朝様式波及前後の当地の彫刻の典型を示している。

円蔵院入口左手に円乗院の本堂が建っている。称号は瑠璃光山円乗院といい、本尊は地蔵菩薩である。

千倉町は日蓮生誕地が近いのだが、日蓮宗寺院が極めて少なく、ほとんどが真言宗寺院である。こちらの真言宗智山派円蔵院は、往古荒神山徳恩寺円蔵院と称し、近くの寺庭にあり、安房三巨刹の一宇として、末寺53ヶ寺を傘下に治め、中には領主の寺領を有するもの4ヶ寺もあり、地方の小本山の感がある。

文安元年(1444)住職源秀大いに寺門を興し、その後現在地に移り称号を新福山と改め現在に至ったという。天正年間(1573~85)には国主里見氏より寺領として50石及び境内地を寄進され、江戸時代にも徳川将軍より朱印状が下賜された。
境内に入るとすぐ左手に大きな宝篋印塔が建っている。安房名工初代後藤義光72歳の時、明治19 年(1886)に作られている。

宝篋印塔を過ぎてすぐ左手に、青い屋根の御堂が建っている。円蔵院には、本堂の他に番神堂・薬師堂(19C前期)、観音堂(19C中期)もあるということだが、どれかは分からない。

その右手には赤い屋根の御堂が建っている。

入口の虹梁蟇股には風変わりな彫刻がなされている。

堂内には、三つの小さな本殿があり、中央の本殿にはしっかりとした虹梁があり蟇股や出組も施され、小さいながらも相当な由緒がありそうだが詳細は分からない。