半坪ビオトープの日記

瑠璃光寺、本堂、資料館


回廊が曲がった所に袴腰の鐘楼があり、梵鐘はそこに吊るされている。鐘楼の下から回廊は坂を上っていく。

本堂の手前に長寿薬師如来堂があり、中央に本尊の長寿薬師如来、左脇に高祖承陽大師(曹洞宗開祖道元禅師)の坐像が鎮座している。入り口左に懸かる百八の煩悩滅除の大念珠を8個引いてカチリと音を鳴らすと、煩悩が取り払われ厄難が除かれるという。

瑠璃光寺は文明3年(1471)に陶弘房の夫人が、夫の菩提寺として吉敷郡仁保村に建立したもので、最初は安養寺と称した。開山は石屋派の智識大庵須益和尚である。その後明応元年(1492)に弘房随身薬師如来を本尊とし、寺号を瑠璃光寺と改めた。陶氏は代々大内氏第一の重臣であり、陶氏6代当主の陶弘房は周防守護代筑前刺史であった。応仁の乱に際し、大内政弘に従って上洛したが、応仁2年(1468)京都相国寺の合戦で戦死した。元禄3年(1690)仁保から当地に移った。中国三ヶ寺の一つといわれ、長門大寧寺、周防の龍門寺とともに江戸末期まで西日本の禅師の統括を務めた名刹である。

本堂正面には本尊の薬師如来、右手になで仏の賓頭盧尊者、左手に布袋様が安置されている。

本尊の薬師如来は光り輝いているが、以外と小さく容貌を見定めることはできない。

本堂祭壇の左手には、弥勒菩薩の半跏思惟像が安置されている。

本堂を囲む回廊の外、左手に資料館がある。瑠璃光寺五重塔の骨組みを紹介する15分の1の模型や、全国の五重塔55基の模型、40基の紹介パネルなど、五重塔のほとんどを知ることができる。

館内には寺宝も多く展示されている。これは、雪舟筆と伝えられる瑠璃光寺開山から三世までの絹本著色肖像画3幅(県指定有形文化財)である。左の肖像は、全岩東純二世和尚である。文明5年(1473)に入寺して小高野の安養寺を移して瑠璃光寺と改め、中興開山と崇められている。画像右下方に雪舟の落款と等楊の印がある。雪舟が77歳の時の明応5年(1496)の年月が上方に記されている。肖像画の手前には、曹洞宗開祖道元禅師の正法眼蔵法話集がある。日本最古の写本で、県の指定文化財である。

こちらは雪舟筆と伝わる天の橋立図である。雪舟83歳の作という。

こちらの斗(ます)の墨書は国宝である。大正4年(1915)五重塔の解体修理を行った際、五層目の北側組物の一つの斗の重ねの面に嘉吉2年(1442)2月と年月が書かれているのが発見され、五重塔完成時が判明した。