半坪ビオトープの日記

大願寺


厳島神社の出口の右手に大願寺の山門と本堂が見える。亀居山放光院大願寺は、かつては亀居山ともいう塔の岡の麓にあり、五重塔や豊国神社(千畳閣)などとともに一大伽藍を形成していたが、当時の遺構は本堂と山門のみである。山門は、元禄年間(1688~1704)の造営と考えられている。

真言宗の古刹である大願寺の開基は未詳だが、建仁年間(1201~33)に僧了海によって再興されたと伝えられている。本堂前には伊藤博文が植えたと伝えられる九本松が高く聳えている。樹高30m、幹周3.6mの黒松で、一本の木が根の所から9本に分かれている。

大願寺は、明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に担っていた。本堂は前表面が本堂、裏が庫裡という特異な形態をとっている。
本堂は五つの間に仕切られ、中央には日本三弁財天の一つである弁財天が祀られている。元は厳島神社の祭神として本殿に安置されていたが、神仏分離の際にこの寺に遷座した。この厳島弁財天は、弘法大師の作と伝えられる秘仏で、年一回開帳される。阿弥陀如来像と護摩堂の元本尊だった如意輪観音像を脇侍とする。

中央右の間(この写真では左)には、釈迦三尊像が安置されている。元、豊国神社(千畳閣)の本尊で、鎌倉時代の作とされ、国の重文であるが、残念ながら撮影禁止であった。脇侍は阿難、迦葉像である。

一番右の部屋には、厄除け大師と薬師如来、十一面観世音菩薩像が安置されている。一番右の像が十一面観世音である。

中央左の間にある薬師如来座像は、鎌倉初期の作とされ、宮島に現存する最古の仏像である。像高50cm、定朝様の寄木造で、左右に不動明王毘沙門天像を従えている。

一番左の部屋には、小さな釈迦三尊像がある。元五重塔の本尊だった釈迦如来座像と脇侍の文殊菩薩普賢菩薩で、室町時代の作とされる。どういうわけか入口外の天井には、錦帯橋の模型が吊り下げられている。

一番左の書院は、勝海舟木戸孝允等が明治維新直前、第二次長州戦争の際に講和会議をした部屋でもある。衾の前には、瀟湘八景という山水墨画の描かれた八曲屏風がある。屏風の裏面には、天文6〜8年(1537~39)大内義隆の斡旋により、大願寺の尊海上人が高麗版大蔵経を輸入するために朝鮮半島へ渡った際の記録である「尊海渡海日記」が記されている。

大願寺の左手には厳島神社宝物館がある。厳島神社の宝物は国宝・重文が約130点あり、代表的な平家納経をはじめ小桜韋黄返威鎧、彩絵檜扇の国宝、環城楽舞楽面、木地塗螺鈿飾太刀の重文などが展示されている。
現在の大鳥居は明治8年に建立された。昭和26年の大補修の際に取り替えられた大鳥居の楠の根元材が、宝物館入口の右脇に展示されている。

宝物館の左手には、厳島神社末社である金刀比羅神社がある。鎮座は不詳だが、祭神として大物主命と佐伯鞍職(さえきのくらもと)を祀る。佐伯鞍職は、推古元年(593)に厳島神社を創建した初代神主と伝えられている。大正4年に留守口恵比須神社を合併奉祀したと記されている。