半坪ビオトープの日記

豊国神社、五重塔


弥山のロープウェイを下って無料バスで麓に下りると、厳島神社の裏手に摂社の三翁神社がある。平安時代末に平清盛近江国の山王社から勧請したと伝えられ、当初は山王社と称した。三翁神社は3殿からなり、中央殿に大綿津見神安徳天皇、佐伯鞍職、二位尼、所翁(ところのおきな)、岩木翁を、向って右の左殿に大己貴神猿田彦神を、向って左の右殿に御子内侍、徳寿内侍、竹林内侍の各祖神を祀る。佐伯鞍職は厳島神社を建立したと伝わり、所翁はその部下で「所(この付近)の者」と答えた者である。

三翁神社前を商店街(北)に向うと、石段の上に豊国神社と五重塔が見上げられる。

豊国神社の社殿は、桁行正面13間、背面15間、梁間8間の入母屋造平入本瓦葺であり、国の重文に指定されている。

豊国神社は、はじめ天正15 年(1587)豊臣秀吉が戦没将兵の慰霊のために大経堂として建立した。
秀吉の死により工事が途中で中止され、板壁も天井板もない未完成の状態のままである。明治初年の神仏分離により本尊の釈迦如来座像は大願寺に遷され、厳島神社末社として豊臣秀吉加藤清正を祀る豊国神社となった。

畳857枚分の広さがあることから「千畳閣」と呼ばれるようになった。江戸時代には既にここは交流の場・納涼の場として人々に親しまれていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳などが記され、奉納された絵馬や扁額も数多く掲げられている。

この大鳥居の尺杖は、明治8年(1875)に再建された現在の大鳥居を建てる時に使用された物で、長さは大鳥居の高さと同じ16mある。

豊国神社は高台に建っているので眺めがよく、厳島神社の社殿も見下ろせる。

豊国神社の前に建つ五重塔は、2間四方で高さは27.6mある。応永14年(1407)建立の檜皮葺きで、和様・唐様を融合した見事な塔である。内部は彩色が施され豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれ、壁板には迦陵頻伽や鳳凰が極彩色で描かれているという。

五重塔を町屋通りに下りた角に、誓真釣井がある。「宮島の恩人」と慕われている僧誓真は、寛保2年(1742)に伊予で生まれ、若い頃広島で家業の米屋を手伝っていた。僧になった誓真は、天明の頃、飲料水不足に苦しむ島民のために島内に10ヶ所井戸を掘った。今日、誓真釣井と呼ばれる井戸が4ヶ所残っている。誓真は道路の改修や宮島名物となった杓子作りも手がけ、光明院の近くにその遺徳を称えた碑が建っているそうだ。