半坪ビオトープの日記

鶴林寺


姫路の東、加古川周辺には、浄土寺一乗寺鶴林寺などの名刹が多くあるが、時間の都合で播磨路の古刹、鶴林寺のみ訪れた。仁王門は三間一戸の楼門形式で、階上に坐禅堂をもつ。屋根は入母屋造本瓦葺で、大棟に鬼瓦が構える。室町時代に本堂の細部に倣って建てられ、江戸時代末期に大修理されたという。組物や二ツ斗蟇股に特徴がある。
天台宗刀田山鶴林寺は、近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の一つで、太子建立七大寺の一つともいわれるが、創建の詳細は不明である。

平安時代建立の太子堂をはじめ、数多くの文化財を有し、「西の法隆寺」とも称されている。伝承では創建は崇峻天皇2年(589)に遡り、聖徳太子が播磨の地に隠遁していた高麗僧・恵便のために秦川勝に命じて建立し、養老2年(718)身人部春則(むとべのはるのり)が七堂伽藍を整備したというが、伝承の域を出ない。ただし、推古天皇14年(606)、聖徳太子法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされる。創建時は四天王寺聖霊院という寺号だったものを、天応3年(1112)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを機に「鶴林寺」と改めたという。鶴林寺には飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造聖観音像があり、本堂本尊の薬師三尊像は平安時代前期・10世紀に遡る。
室町時代建立の本堂は国宝で、入母屋造本瓦葺、桁行7間梁間6間。堂内宮殿(厨子)の棟札銘から応永4年(1397)建立と判明。和様に禅宗様を加味した折衷様建築の代表作で、桟唐戸を多用するのが特色である。宮殿には秘仏の薬師三尊像と二天像(各重文)を安置する。

本堂の手前右方に建つ太子堂は、天応3年(1112)の建立で、国宝に指定されている。堂内に聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている。この配置は天台宗特有の伽藍配置で、延暦寺、日光輪王寺などに例がある。屋根は宝形造檜皮葺。桁行梁間とも3間の主屋の前面に梁間1間の孫庇(礼堂)を付し、側面から見ると主屋と孫庇の境で軒先の線が折れ曲がる「縋(すがる)破風」の形になる。堂内には本尊釈迦三尊像を安置する。堂内壁画も平安時代絵画の希少な遺品として重要で、東側壁面の板絵著色聖徳太子像は、中世から厨子で覆われ秘仏扱いだが、重文に指定されている。

本堂の右方裏手に鐘楼が建ち、その右手に観音堂が建っている。鐘楼は本堂と同時代の応永14年(1407)の建立で、袴腰造りの優美な建築である。中に吊るされた高麗期の梵鐘(黄鐘調の音色で知られる)共々重文に指定されている。

観音堂は宝永2年(1705)に姫路城主の寄進によって再建されたといわれる。かつて観音堂に安置されていた「金銅聖観音立像」は白鳳仏の傑作とされ、重文に指定されて宝物館に保存されている。観音堂の右手には護摩堂が建っている。永禄6年(1563)の建立で、3間四面の入母屋造、本瓦葺。堂内には不動明王が祀られている。中央に護摩壇があり、火を焚いて不動明王と自分が一体になる祈祷を行う堂である。

太子堂観音堂の右手(東側)に宝物館が建っている。2012年に太子堂創建900年を記念して開館した。像高83cmの「金銅聖観音立像」は、その昔、盗人がこの観音像を盗み出し、溶かして一儲けを企んだが、「あいたた」という観音様の叫び声に驚き、像を返し改心したという伝説があり、「あいたた観音」として知られる。他にも釈迦三尊像、十一面観音像、聖徳太子絵伝、慈恵大師像等の画像など、重文20点をはじめ200点を超える収蔵品がある。国宝太子堂壁画の復元模写図が展示されていて、撮影禁止であるが入館料を払っても見る価値がある。

太子堂の東に法華一石一字塔が建っている。明和8年(1771)に建立された供養塔で、法華経の文字を一つの石に一字ずつ書いて千部収め、読誦して回向し三界万霊の菩提を弔ったものである。

15,000坪と広い境内の、本堂の裏手には、左から塔頭浄心院、宝生院、真光院が並んでいる。これは中央の宝生院である。縁起は定かではないが、古文書によれば16世紀初頭には「宝生坊」、17世紀中頃には「玉泉坊室宝生院」とある。

本堂の左手前に常行堂太子堂と向き合って建っている。太子堂とほぼ同時代の12世紀前半の建立で、元は同じく檜皮葺であったのを永禄9年(1566)に瓦屋根に吹き替えたものである。正確には常行三昧堂という。常行三昧とは、阿弥陀仏の周囲を歩き続けながら念仏を唱えるという天台宗の修行で、そのための常行堂としては現存最古のものとされ、重文に指定されている。

仁王門から正面の本堂に向かってすぐ左手に建つ三重塔は、室町時代の建立だが、文政10年(1827)に再建に近い大改造が行われた。高さ18mの本瓦葺き。基壇の上に建ち、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは3間とも間斗束をおく。内部は心柱が2層目で止まり、初層の四天柱内に須弥壇を築く。壇上には本尊大日如来を安置する。

三重塔の裏手に行者堂が建っている。応永13年(1406)の建立で、1間社隅木入春日造、背面入母屋造、本瓦葺。前方の鳥居が示すように、鶴林寺を守護するため、「日吉神社」が建てられたのが前進である。正面が春日造、背面が入母屋造という珍しい造りで、国の重文に指定されている。本尊は神変大菩薩役行者)である。