半坪ビオトープの日記

大本堂、八角五重塔


大山門を潜ってすぐ右手奥に聖徳太子堂が建っている。昭和41年に奉納された聖徳太子像が安置されている。

大山門の正面には、これまた大きな大本堂が建っている。平安期の建築様式に近代的感覚を盛り込んだ大伽藍の鉄筋コンクリート造で、昭和39年に落成した。

川崎大師平間寺の縁起をひもとくと、今を去る880余年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗という武士が無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を放浪した挙句ようやくこの川崎の地に住み着き、漁猟を生業として貧しい暮らしを立てていた。兼乘は深く仏法に帰依し、夢枕に立った高僧のお告げの通り海から弘法大師の木像を引き上げた。兼乘はその像を草庵に奉り日夜信仰していたが、諸国行脚の途中に立ち寄った高野山の尊賢上人と一緒に太治3年(1128)にお堂を建立し、平間寺と号し、本尊を厄除弘法大師と称したのが始まりである。永治元年(1141)近衛天皇により勅願寺となり、江戸時代になって徳川将軍家も帰依した。

この一対物の長提灯は、江戸町火消第二区が昭和33年に奉納したものである。

本堂内には本尊の厄除弘法大師を中心に、不動明王愛染明王、稚児大師、救世観音、金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅が奉安されている。堂内では毎日護摩修行が行われ、檀信徒も同席して祈りを捧げる。

本堂の左手から境内を眺めると、一番奥には背の高い信徒会館が建っている。金色に輝く宝塔は、本尊厄除弘法大師のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場の象徴である。信徒会館の手前の大きな屋根のお堂は、昭和39年に建立された不動堂である。不動堂の右手前の小さなお堂は、福徳稲荷堂である。境内諸堂の内唯一、昭和20年の空襲での焼失を逃れた建物である。

不動堂の向かい、平間寺境内のほぼ中心に八角五重塔が建っている。昭和59年弘法大師1150年遠忌を記念して建立された。毎月第一日曜日と21日の縁日に限り内部が拝観できる。二層に恵果和上像、弘法大師像、興教大師像、両界曼荼羅を安置している。初層に真言八祖の図像、金剛界五智如来像、地下の大師地区慰霊堂には釈迦如来が奉安されている。

八角五重塔の北には不動門が建っている。昭和23年に福島県の有縁の地より山門として譲り受け、現在の大山門建立に伴いこの場所に移築された。

不動門から見てやや左手に、鐘楼堂が建っている。これも不動門とともに有縁の地より譲り受けたもので、当山の戦後の復興を記念する建築物である。