半坪ビオトープの日記

多気山不動尊


大谷資料館の西2kmほどの多気山の中腹に、真言宗智山派多気山持宝院不動寺がある。高尾山薬王院成田山新勝寺川崎大師平間寺と並び、古くから北関東を代表する不動尊として広く民衆に信仰されてきた古刹であり、「多気不動尊」と呼ばれて親しまれている。

坂道の参道を上りきったところにある駐車場の正面に交通安全祈願所があり、明王殿の扁額の先に不動明王が安置されている。

多気不動尊は、多気山(376.9m)の中腹にあるが、山門奥の鬱蒼とした周囲の森は多気山持宝院社叢として、宇都宮市内で唯一原始林(北限の暖帯林)の面影を残す場所である。多気山(たげさん)の山名は、「タケ」(岳、嶽、嵩)の濁音化、語源は動詞「タケル」(長ける)で高所、高山のことと言われている。多気山には中世の山城であった多気城跡があり、持宝院から本丸跡である山頂の御殿平まで登ることができる。山全体に多くの堀・土塁や曲輪の跡が見られ、山裾の堀は全長2kmに及ぶ。

本坊左脇の山門をくぐると、本堂へと導く126段の整然とした石段がまっすぐに見通せる。一直線の石段の左手には、遠回りに曲がりくねった山道の参道もあり、途中から多気山頂への登山道が分岐する。

石段の途中、左右に「学問の神天満宮」や「不動の剣」、眼病平癒として信仰されている「弘法大師」像も安置されている。

石段を上りきった境内正面には、本堂が建っている。多気山持宝院不動寺は、弘仁13年(822)に勝道上人の弟子・尊鎮法師により開山され、当初は馬頭観音が本尊であったが、建武2年(1335)に宇都宮城主・藤原公綱により不動明王像が本尊として氏家勝山城から遷座された。この像は源頼光が天歴3年(949)に円覚上人に制作を依頼し、吉野の山中において一刀三礼で作られ、宇都宮氏の祖とされる藤原宗円が前九年合戦(1051~62)の際に戦勝祈願したものとされる。

平成27年遷座から680年の節目を迎え、「八朔祭」を毎年9月第一日曜日に変更し、大護摩供を修する。

前日夜の宵祭り「万燈会」に引き続き、寄木造りの木造不動明王坐像の年一度の開帳がなされる。  

普段は秘仏扱いである、本像の見開いた玉眼は、康応元年(1389)の修理の際に入れられたとされ、本来は彫眼と考えられている。

本堂の左手には、高床の歳神殿、弘法大師堂が並び、突き当たりには鐘楼堂がある。

宵祭り「万燈会」では、5000灯を超すローソクの火が灯され、この歳神殿にて智山雅楽会による雅楽演奏が行われるという。