半坪ビオトープの日記

最御崎寺


室戸岬に向かう道沿いには、四国霊場八十八札所のうち神峯寺金剛頂寺津照寺最御崎寺と札所がいくつも並んでいるので、てくてくと歩くお遍路さんを数多く見かける。全行程は1400kmに及ぶので、何度にも分けて巡るそうだが、そんな難行をこなせるならどんな難題も乗り越えることができるだろう。室戸岬手前を左に室戸スカイラインを進むと、最御崎寺の駐車場がある。第24番札所の最御崎寺にもお遍路さんは多く、参道入り口の空海像はお迎え大師と呼ばれている。

お迎え大師の右手の参道を上がっていくと、山門である二層の楼門式仁王門が建っている。珍しく表と裏に仁王像が2対立っている。左手前には空海像が立っている。

仁王門をくぐると広い境内の先には本堂が見え、左右に伽藍が並んでいる。空海は都での学問に飽き足らず、19歳の延暦11年(792)頃からの約5年間、山林修行を続けた。空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」とあり、室戸岬にほど近い洞窟=御厨人窟で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。

寺伝によれば、大同2年(807)唐から帰朝した翌年に大師は、勅命を受けて再び室戸岬を訪れている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫像して本堂を建立、最御崎寺を開創した。当初は奥の院四十寺のある四十寺山頂にあり、現在地に移ったのは寛徳年間(1044~55)頃といわれる。
参道左側には大師堂が建っている。大師堂は昭和60年の再建である。

大師堂に入ると、大師像を拝顔できる。

大師堂の右手前に、安山岩でできた鐘石という大きな石が置かれている。叩くと鐘のような高い音がする。この音は極楽浄土まで届くとされ、弘法大師の七不思議に数えられている。大師堂に向かい合った参道右手には、鐘楼堂が建っている。

鐘楼堂は今は使われていないが、慶安元年(1648)に土佐藩主・山内忠義により寄進されたものである。

鐘楼堂の先には多宝塔が建っている。昭和55年に再建されたものであり、高さは約20m、骨格はRC造だが、扉や窓、組物、彫刻などは木造である。

最御崎寺は、嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が篤く、暦応4年(1341)には足利尊氏によって土佐の安国寺とされた。その後火災により焼失したが、元和年間(1615~24)には土佐藩主・山内忠義の援助を受け、僧の最勝が再興する。堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。明治に入って神仏分離令により荒廃するが、大正年代には諸堂が再建された。
本堂は大正13年の再建である。正式名は、室戸山明星院最御崎寺(ほつみさきじ)であり、寺号は「火つ岬」(火の岬)の意である。

本尊は虚空蔵菩薩で、空海一刀三礼の作と伝えられている。

本堂の裏手には、昭和59年建立の新しい鐘楼堂と霊宝殿(宝物館)が建っている。毎年11月の第1日曜日だけ公開される霊宝殿には、国指定重文の木造薬師如来坐像月光菩薩立像・如意輪観音半跏像・漆塗台盤が収蔵されている。中でも如意輪観音像は、日本唯一といわれる大理石製で、大陸からの請来仏ではないかと考えられている。

鐘楼堂の左手を進んで宿坊である遍路センターに向かう道の左には、「歓喜天」という扁額を掲げた鳥居の奥に聖天堂が建ち、その左奥には護摩堂が建っている。