半坪ビオトープの日記

岩本寺


中土佐町の南の標高320mの高原にある四万十町窪川に、真言宗智山派の寺院、藤井山五智院岩本寺がある。

四国八十八ヶ所霊場の第37番札所である。前後の札所との距離が遠く、巡礼の遍路が当寺で一泊することが多かった。今でも門前には休憩所やトイレの標識が多い。山門は仁王門となっている。

山門を入ると左に納経所、右手に聖天堂、鐘楼があり、正面右手に本堂が建っている。
寺伝によれば、岩本寺天平年間(729~49)に聖武天皇の勅令を受け、七難即滅、七福即生を祈念した行基が開創した七福寺が起源で、近くの仁井田明神の別当寺であったという。弘仁年間(810~24)に空海が五社・五寺からなる福円満寺へと発展させ、五社寺にそれぞれ本尊を安置したという。仁井田十二福寺とも呼ばれ、嵯峨天皇勅願寺として栄えた。天正年間(1573~92)に兵火によって焼失するが、のちに足摺岬金剛福寺の山主、尊快法親王が弟子の尊信に命じて現在地に再興し、寺名を岩本寺と改めた。明治初期に神仏分離で仁井田五社と分離され、廃仏毀釈により廃寺となるが、明治22年(1889)に復興され、現在に至る。この岩本寺には、子安桜・戸たてずの庄屋・筆草・尻なし貝・三度栗・口なし蛭・桜貝など現実と法益を混ぜた空海弘法大師にまつわる七不思議の伝説が伝わっている。

本尊として、不動明王観音菩薩阿弥陀如来薬師如来地蔵菩薩の五尊を祀っている。昭和53年(1978)に新築された本堂の天井には、全国から公募した画家や一般市民が描いた、花鳥風月から人間曼荼羅まで575枚の天井絵が飾られている。

本堂手前の参道右側に鐘楼が建っている。

鐘楼の右側に向かい合って建つこの円形のお堂は、平成8年に落慶した聖天堂で、本尊として象頭双身の大聖歓喜自在天、いわゆる歓喜天を祀っている。

鐘楼と聖天堂の間を右に進むと大師堂が建っている。大師堂は200年ほど前の、岩本寺の境内で一番古い建物で、ここは37番札所「奥の院」も兼ねている。

大師堂の左手奥に新しい青龍殿が建っている。天井には全長196kmの四万十川全景と30カ所の沈下橋の美しい板絵が描かれている。

大師堂に安置されている岩本寺奥の院の本尊である矢負地蔵が、宿坊で開帳されていた。霊場開創1200年を記念して、明治以降初めて、昨年から今年の3月までの予定を延長しての開帳であった。矢負地蔵には次のような伝説が残されている。昔、一人の信心深い狩人が、岩本寺の観音様に深い信仰を寄せていた。ある日、獲物が見つからず絶望した狩人は、自らの体を矢で射抜くが、一体のお地蔵様に命を救われた。狩人の身代わりになった地蔵菩薩は「矢負地蔵」と呼ばれて、岩本寺奥の院の本尊になったという。