半坪ビオトープの日記

清水寺、妙法寺

清水寺の大銀杏
清水寺佐渡市新穂大野にあるが、その門前屋敷に「清水寺の大銀杏」と呼ばれる巨木がある。樹高26m、胸高幹囲8.18m、根元幹周10.47mの雄木で、樹齢は約1,000年と推定されている。佐渡市の天然記念物に指定されている。

清水寺、仁王門
清水寺(せいすいじ)は真言宗豊山派の寺院で、山号は東光山。大同3年(808)京から布教に訪れた僧・賢応法師が建立したと伝わる古刹である。京の清水寺(きよみずでら)を模したことが名の由来。因みに京の清水寺坂上田村麻呂延暦17年(798)に創建された。参道入口の仁王門から中門、本堂へと杉の大木に囲まれた苔むした石段が続く。

大講堂
石段上部の左脇に駐車場がある。そこから内庭に至ると大きな建物、「方丈」の扁額が掛かる大講堂が建っている。近世までの沿革は不祥であるが、大きな寺勢を誇った江戸時代中期から末期にかけて、本堂をはじめとする各堂宇が再建・建立されたと考えられている。

中門と鐘楼
内庭から内門を潜って前庭に出ると右手に中門と鐘楼が建っているのが見える。中門は江戸後期の建立で、一間一戸薬医門、木造平屋建、切妻造平入、桟瓦葺、袖塀付。鐘楼は江戸後期の建立で、方一間、木造平屋建、切妻造平入、桟瓦葺。

本堂(観音堂
広い前庭の正面の高台には、大きな本堂(観音堂)が建っている。桁行五間、梁間五間の金属板葺で、正堂と礼堂を一つの屋根に納め、屋根正面を入母屋とし、礼堂に舞台を付けて懸造としている。この外観は、奈良の長谷寺の本堂や京都の清水寺の舞台を思わせるものだが、仁王門から本堂に至る長く直線的な参道や伽藍配置は当寺独特のもので、これらが組み合わさって明快で雄大な空間を構成している。

扁額には「救世殿」
また、享保15年(1730)の建立が記録された本堂棟札や江戸時代の伽藍配置の様子を描いた境内絵図「佐州清水圖」も伝えられ、佐渡新潟県内では他に類を見ない造形と明確な資料を伴った仏堂として貴重である。大きな扁額には「救世殿」と書かれている。

本堂内陣
清水寺の什宝には、本尊千手観音、薬師如来坐像地蔵菩薩毘沙門天などの木像、両部種子曼荼羅不動明王像などがある。

木造二十八部衆及び雷神像、鰐口
清水寺の本尊は千手観音立像だが、その眷属として本堂の左右脇壇に祀られていたのが、木造二十八部衆及び雷神像である。多くは像高約6070cmである。平安後期に遡る作とされ、京都蓮華王院本堂の風神雷神合わせた30躯(国宝)に先立つ最古級のものと考えられている。また、清水寺の明応9年(1500)の銘のある鰐口は、佐渡で4番目に古いものである。

地蔵堂と大師堂
本堂の裏手(右手)には、地蔵堂と大師堂が建っている。どちらもかなり傷んでいる。

大師堂
大師堂も、よく見るとかなり手の込んだ彫り物が施されている。

本堂の右側面
本堂の右側面を見ると、屋根の木組みの重厚な様子がよくわかる。左手が清水の舞台である。

舞台からの眺め
清水の舞台からは、前庭の正面に中門、その右手に鐘楼が眺められる。

妙法寺
最後に両津に戻り、妙法寺を訪ねる。寛永元年(1624)、湊の番所付問屋中村氏が畑を寄進し、根本寺十三世日衍を迎えて開基した日蓮宗寺院である。

妙法寺本堂

寺宝に、日蓮上人が楊枝で書いた「船中木筆の曼荼羅」、廻船問屋本間次佐衛門が寄進した江戸初期制作の逸品「洛中洛外図金屏風」などがある。

これで4月上旬に訪れた佐渡の旅を終える。まだ残雪があったため登れなかったドンデン高原の高山植物や、大野亀のトビシマカンゾウの大群落の花を、時期が早すぎて見られなかったのが残念だった。