半坪ビオトープの日記

室戸岬灯台、御厨人窟 


最御崎寺参道の仁王門入り口を左に曲がらず真っ直ぐ下りていくと、室戸岬灯台に出る。光達距離26.5海里(約49km)は日本一。また、日本に5箇所しかない直径2.6mの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもある。明治32年(1899)に初点灯された白亜の鉄造灯台で、塔高は15mあり、灯火標高は154.7mとかなりの高台にある。

室戸スカイラインを戻って室戸岬に向かうと、大きな中岡慎太郎像が岬に向いて建っている。像前の花崗岩には次のように記されている。「天保9年4月安芸郡北川村に生る 幕末の頃天下の志士と交友し 陸援隊を組織しその長となり 海援隊坂本龍馬と共に薩長連合をはかり明治維新の大業に尽力したが 慶応3年11月15日(1867)夜 京都において刺客のために斃れた 満30才、昭和10年安芸郡連合青年団室戸岬町連合青年団建之」

室戸岬の駐車場は満杯なので素通りし、少し先の御厨人窟(みくろど)に向かう。御厨人窟は、弘法大師空海)伝説の残る隆起海蝕洞で、御蔵洞とも表記される。洞窟前の駐車スペースは波食台であり、洞窟上部の崖は海食崖である。

御厨人窟平安時代初期、当時青年だった空海がこの洞窟に居住したと伝えられている。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。
「法性の室戸といえば我が住めば 有為の浪風よせぬ日ぞなき 空海

御厨人窟の中には五所神社が祀られ、祭神は大国主命である。洞窟の中で聞こえる豪快な波の音は「室戸岬御厨人窟の波音」として「日本の音風景100選」に選ばれている。

御厨人窟に向かって右側に神明窟がある。

神明窟には神明宮が祀られ、祭神は大日孁貴である。空海はこの神明窟で虚空蔵求聞持法の難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に三教指帰の悟りが開けたと伝えられている。

室戸岬の先端から御厨人窟前に向かう東の海岸には、約2kmにわたる乱礁遊歩道が巡らされ、奇岩に荒波が打ち寄せる豪快な風景が見渡せる。

この辺りがホルンフェルスといわれる。ホルンフェルスとは、泥や砂がマグマの熱によって焼かれて変質した変成岩である。

穴がたくさん集まって蜂の巣のように見えるが、これをタフォニという。海水が岩石に付着すると、水分の蒸発とともに塩類の結晶ができ、この結晶の成長に伴う圧力によって岩石に割れ目ができる。それが次第に広がり穴が形成される。

乱礁遊歩道を歩くと、約1600万年前の深海の地層が隆起してできたタービダイト層や、マグマがゆっくり冷えて固まった班レイ岩、南国特有の亜熱帯性植物など、ダイナミックな自然を間近に見ることができる。班レイ岩には、ヤッコカンザシ(ゴカイの仲間)の化石が多く付着していて、この化石から100年、1000年単位の海水面の位置がわかるという。

この大きな岩はビシャゴ岩と呼ばれる。全体が班レイ岩(黒色の粒の火成岩)から成る。約1400万年前、マグマが地層に貫入して固まったとされる岩で、水平に貫入したものがその後の地殻変動によりほぼ垂直に回転したものである。このビシャゴ岩には悲しい伝説がある。昔この付近に「おさご」と呼ばれた美女が住んでいたが、その余りの美しさに多くの男達が朝夕船を漕ぎ寄せてきて彼女に愛を求めようとした。彼女はその煩わしさに耐えかねて、美女が生まれないように祈りながら岩頭より投身したが、その後も室戸にはたくさん美女が生まれているという。