絵馬堂の右手に大師堂が建っている。讃岐の屏風ヶ浦(現、善通寺市)で生誕した空海は、主に四国の難所で厳しい修行をした後、八十八ヶ所霊場を開創したとされる。空海にゆかりのある霊場であるため、ほとんどが真言宗だが、現在は天台宗や臨済宗などに変わっているものもいくつかある。しかし、四国八十八ヶ所霊場全てに大師堂が建てられている。
大師堂内に入れば、大師像を眼前で拝顔できる。
かつては大師堂内の壁に、正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されており、「落書き堂」とも呼ばれていたが、壁は第二次大戦中に塗り直されている。
今は堂内左右に観音様らしき絵が掲げられているが、詳細はわからない。
大師堂の右手には、鎌倉時代末期建立で重文の訶梨帝母天堂が建っていて、鬼子母神が祀られている。
訶梨帝母天堂の右手前に一切経堂、護摩堂、弥勒堂が並んで建っている。一切経堂には、経・律・論の三蔵その他注釈書を含む経典の総称である釈迦の教説と関わる一切経(大蔵経)が収められている。
護摩堂は、建立時期を明確にする資料はないが、全体の容姿及び構造・表現の技法から、室町時代前期の建築と推定されている。桁行・梁間とも3間、単層の建物で、屋根は宝形造、銅板葺である。天竺・和・唐様式の建築が混在する石手寺にあって、唯一の純粋な和様建築で、国の重文に指定されている。堂内には不動明王と二童子立像の3像が安置されている。いずれも木彫りの一本造りで、鎌倉時代中期の技法が見られる。
護摩堂の右手には弥勒堂が建っている。子規が、友人柳原極堂とともに石手寺を訪ねて詠んだ「散策集」中に次の句がある。
「秋風や 何堂彼堂 弥勒堂」
弥勒堂の右手に宝物館の入り口があったが、残念ながら時間の都合で省略した。帰りがけ、仁王門の手前に納経所を兼ねた大きな茶堂が建っていた。この茶堂の大師像は絶対秘仏で住職も見たことがないという。堂の前の香炉には奉納された線香の煙が絶えない。