半坪ビオトープの日記

和具観音堂


大王崎から西南に4kmほど進むと、志摩市大王町船越と志摩町片田の境にある深谷水道を通過する。深谷水道は、太平洋と英虞湾を結ぶ長さ約550m、幅約20mの運河で、英虞湾内の真珠養殖に必要な新しい海水を送り込む目的で、昭和7年(1932)に完成した。
深谷水道から西に約5kmほど進むと志摩市の漁業の中心地である和具漁港があり、集落の北に和具観音堂がある。和具では円墳が見つかり、石室や須恵器片が出土していることから、古くから人が居住し有力者がいたことが窺える。

和具観音堂真言密教の修行道場として、また願い事の祈祷所として、古くから栄えた寺である。鎌倉時代(1200年代)に創建されたものといわれ享保5年、天保11年、大正6年、昭和12年に増築大改修が行われている。

示現山観音堂は、国の重文に指定されており、また桜の名所としても知られる。和具のことわざに「十八日の足袋よごし」というのがある。これは観音堂の下は明治10年ごろまでは水田であり、酔っ払ってその帰りに水田に落ちることを言ったものである。

寺宝として、銅像如来坐像がある。高さ16.9cmの平安時代前期作で、国の重文に指定されている。平安時代には珍しいブロンズ像で、結跏趺坐と呼ばれる姿で坐禅をするように坐っている。右手の臂から先を欠いているため、釈迦か如来か特定できず、単に如来坐像と呼ばれる。
観音堂の本尊は、平安時代前期と伝わる、高さ173cmある檜の一木造の十一面観音菩薩立像で、県の指定文化財になっている。また、平安時代後期作とされる薬師如来坐像もある。さらに平安時代後期作とされる高さ98cmの木造仏頭があり、村の伝説によると、その仏頭は秀吉の朝鮮出兵の際、和具城主青山豊前が朝鮮から持ち帰ったものだというが、作風は明らかに日本のものといわれる。

境内には稲荷明神が祀られていると思われる鳥居も並んでいる。

和具観音堂は、現在でも人々の信仰が厚く、念仏講などが盛んに行われている。ほかにもいくつかお堂が建っている。

左に建つこちらのお堂は、南無子安地蔵尊との幟があるので地蔵堂とわかる。

堂内には石造の地蔵菩薩坐像が安置されていた。

境内入り口には、北向地蔵尊が祀られている。案内によると、この北向地蔵尊は本堂薬師如来、十一面観世音菩薩を守る仏像で、この廻りには四国八十八ヶ所霊場の砂を敷き、参拝者がこの砂を踏むことで八十八ヶ所霊場参拝の願いが得られるとある。

観音堂の境内を西に進むと隣の敷地に八雲神社がある。780年の歴史があるという奇祭・潮かけ祭りが知られる。この祭りは、祭神である海の女神・市杵島姫命が、一年に一度、2km南方海上にある和具大島(無人島)にある祠に里帰りするという言い伝えに基づいて行われる祭りで、正式には大島祭りという。