半坪ビオトープの日記

大王崎、波切神社


安乗崎から海岸線を一気に南下して、次の大きな岬、大王町波切にある大王崎に向かう。大王崎とは、大王埼灯台のある城山から、波切神社のある宮山までを指す。暗礁・岩礁が多く、「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と唄われたほどの航海の難所で、昔から遭難する船が多いことで知られる。「し」の字形に大王崎に囲まれた格好の波切漁港に面して、臨済宗仙遊寺がある。波切九鬼氏の菩提寺で、九鬼氏初代隆良から5代定隆までの5基の五輪塔があるという。見学は住職まで願い出るようにとの案内板があったが、ちょうど法事の真っ最中だったので遠慮した。

裏庭を覗いてみても五輪塔は見つからなかった。九鬼氏は熊野本宮大社の神官の子孫で、紀伊の名族として知られるが、3代目隆房の次男の九鬼隆良が波切村の川面家の養子となり、波切城主となった(14C後半)。波切城跡はここから灯台へ向かう途中にある。

波切漁港には多くの魚が水揚げされ、干物作りが盛んで店先や岸壁近くに様々な魚が干されている。漁港は大王崎の麓にあって幾重にも防波堤で囲まれているが、潮当たりがいいことで魚釣りの人気がよいそうだ。小説では田山花袋の『南船北馬』の舞台となり、民俗学者折口信夫はここを訪れて「マレビト」説の着想を得たという。

大王崎には明治以来、多くの画家が訪れたことから、大王町は20年ほど前に「絵かきの町」を宣言した。当日も多くの生徒らが漁港周辺で写生をしていた。漁港の東側に波切神社の鳥居がある。

鬱蒼と茂る森の中の薄暗い石段を登っていくと、大きな石垣があり、昔の建物跡だろうと思われた。ちょうど仙遊寺の裏山にあたる辺りだ。

まもなく波切神社に着く。以前は木造の社殿だったが、台風被害が大きい地域のため、昭和49年に鉄筋コンクリート造に改築された。

神紋は花菱。由緒は不詳だが、明治5年に波切神社に改称したとされる。主祭神は国狭槌神で、他に明治以降合祀された韋夜神を含む18柱の神を祀っている。国狭槌尊(くにのさつちのみこと)は、主に『日本書紀』の天地開闢の段に、国常立尊の次に登場する神で、神代七代のうちの一柱の男神であり、土の神格化である。古事記では国之狭土神とされる。

境内に入って右手に丸い「鯨石」が安置されている。昔は波切でも捕鯨が行われていたが、ある日捕まえた鯨を解体したところ、腹中より大きな卵型の石が出てきて漁師たちを驚かせた。漁師たちは祟りを恐れてこの石を波切神社に祀ったといわれる。

毎年9月の韋夜権現の秋祭り「わらじ祭り」は、大きなわらじを舞台で曳いた後に浜から流す祭りで、「波切のわらじ曳き」として三重県の無形民俗文化財に指定されている。沖に浮かぶ大王島にいた一つ目のダンダラボッチ(法師)の悪行に困り、村人や韋夜神が知恵を絞り、「村にも大男がいるぞ」と大きなわらじを作ったところ、それを見たダンダラボッチが驚いて逃げ去ったという伝承に由来するとされる。韋夜神は波切の産土神で、波切神社に合祀されている。

波切神社の右手の道を進むと稲荷大明神が祀られ、なおも進むと崎山公園に出る。ここからの展望は素晴らしく、北の方を見ると、安乗崎、国崎から、伊勢湾入り口の神島、渥美半島伊良湖崎などが眺められる。

この崎山公園の台地の南側に大王埼灯台があり、そこからの展望もよいということだが、ここから近くの断崖が見えたので省略した。