半坪ビオトープの日記

大聖院、仁王門


宝物館と金刀比羅神社の間を南の山に向うと、白糸川に架かる朱塗りの滝橋の先に大聖院が見えてくる。

厳島神社の裏を通ってくる滝小路と合流して石橋を渡ると、大聖院の山門、仁王門が構えている。大聖院の建物は、明治20 年(1887)の大火でほとんど焼失し、多くは昭和期の再建である。この仁王門は、昭和14年(1939)の再建である。

大聖院は正式には、多喜山大聖院水精寺と号する。宮島で最古の歴史を持ち、神仏習合時代には厳島神社別当時として祭祀を司り、社僧を統括してきた。三手先の組物に支えられた豪壮な仁王門には、精巧な彫物が施された蟇股が随所に見かけられる。

左手の阿形の金剛力士像は口を開けている分、鋭く睨みを利かせている。

門をくぐるとき見上げると、真中の虹梁にある龍の迫力ある形相に驚かされる。

仁王門をくぐってすぐ左にあるこの御堂は、下大師堂という。そのすぐ裏手には、五百羅漢庭園がある。

仁王門を裏から見ても、随所にちりばめられた彫刻の躍動的な意匠に魅了される。

仁王門の先には長い石段があり、真中の大きな手すりには円筒形の摩尼車という仏具が設けられている。側面にマントラが刻まれ、内部にはロール状の経文が納められていて、右回りに回転させるとその数だけ経を読んだことになるそうだ。600巻の大般若経筒という。

石段の途中、左手に霊宝館が建っている。弥山開創1200年記念の一環で平成18年に建てられた。かつて弥山大日堂に祀られていた、重文の木造不動明王が収蔵されている。

その先左手に、昭和9年(1934)に建てられた鐘楼堂がある。国の重文の梵鐘は、弥山本堂にあるので、これとは違う物である。

石段を上りきった所に建つのが御成門である。大正3年(1914)に再建された、総檜造、唐破風檜皮葺きの勅使門である。大聖院は、真言宗御室派大本山で、仁和寺とは本山と末寺という結びつき以前に脇門跡、仁和寺院室、厳島御室などの称号を賜った深い関係がある。