半坪ビオトープの日記

弥山本堂、三鬼堂


獅子岩駅から20分ほど歩いて、ようやく左手の石垣の上に弥山本堂を見上げることができる所までたどり着いた。

平らな境内の左手に新しい弥山本堂が建っている。以前の本堂は昭和30年の建築だったが、平成3年の台風で半壊し、その後新築されている。江戸時代には「求聞持堂」というもっと大きな御堂が建っていたそうだが、現在は本堂の裏に小さく再建されている。

唐から帰国した弘法大師空海が霊地を探し求めて大同元年(806)に宮島に立ち寄った際、山の姿が世界の中心「須弥山」に似ていることから弥山と名付け、御堂を建て100日間の求聞持の修法を行い開山した所と伝えられている。ただし、空海厳島を訪れた記録は存在しない。本堂裏手には御山神社があり、弥山は古くから真言密教修験道場となっていたが、近年、山頂から北の尾根上の岩塊群周辺から、古墳時代末から奈良時代にかけての須恵器や土師器、瑪瑙製勾玉などの祭祀遺物が採集され、神を招き降ろす祭祀が行われた磐座だったのではないかと考えられている。
本尊は金色に輝く虚空蔵菩薩で、脇に不動明王毘沙門天を祀っている。平清盛足利義尚福島正則などの勇将の信仰が篤かったといわれている。掲額は「能満諸願大道場」と書かれた、伊藤博文直筆の扁額である。

右手に安置されている梵鐘は、治承元年(1177)平宗盛が寄進した旨の銘があるが、「伊都岐島弥山水精寺」という後刻銘があるとされる。ただし、鐘自体は撞座や龍頭などの形式が平安時代の特色を備え、国の重文に指定されている。

本堂に向かい合って、昭和27年に創建された霊火堂が建っている。

霊火堂では、弘法大師の焚いた護摩の火が1200年間燃え続けているという「弥山七不思議」の一つ「消えずの火」が、今なお釜の下に灯っている。霊火堂は平成17年に全焼し、翌年再建されたが、霊火は出火直後に持ち出され事なきを得たという。昭和27年以前は、弥山本堂の中で燃え続けていた。

霊火堂の右の石段を上ると間もなく、三鬼堂が建っている。江戸時代には、現在の尾山神社が三鬼堂だったが、明治初期にここに建てられた。「宮島のさんきさん」と呼ばれている。

大聖院摩尼殿と同じく、時眉鬼神(大日如来の化身)、追帳鬼神(虚空蔵菩薩の化身)、魔羅鬼神(不動明王の化身)の三鬼神を祀っている。この三鬼神のもとに全国の天狗達が集まり、神通力をもって生きとし生けるもの全てを加護しており、弥山の守護神という。伊藤博文もこの三鬼神を篤く信仰し、度々参詣に訪れたそうだ。

さらに参道を進んで行くとまもなく、左手に観世音菩薩を祀る観音堂と、智慧を司る文殊菩薩が祀られている文殊堂が並んでいる。

さらに上って行くと、いよいよ巨大な奇岩怪石がゴロゴロと集まる場所に遭遇し驚く。右手は不動岩で、二つの柱石が巨大な盤石を支えている。盤石の下に不動明王像が安置されている。

左手はくぐり岩で、ここをくぐれば弥山山頂まであと一歩である。これらの巨岩が形成する奇観は、花崗岩が風化してできたものである。