半坪ビオトープの日記

観音堂、勅願堂


大聖院の草創は不詳だが、伝承では大同元年(806)空海が宮島に渡り、弥山の上で修行し、三鬼大権現を勧請し開基したという。史実としては確認できないが、近年、弥山本堂周辺から、奈良・平安時代の緑釉陶器や仏鉢などの遺物が発見されている。

大聖院本坊には、観音堂・勅願堂・摩尼殿などの諸堂があるが、最も大きな建物はこの観音堂である。昭和7年(1932)に再建されている。向拝虹梁の龍の彫刻も木鼻の彫刻も大きく迫力がある。
大聖院は、中国三十三観音第14番札所であり、紅葉の名所でもある。

観音堂には、元厳島神社本地仏行基作と伝えられている、十一面観世音菩薩が安置されている。本地仏とは神の本来の姿という考えで、この観音菩薩厳島神社の神の姿として祀られていたが、明治初年の神仏分離で大聖院に遷され、現在は観音堂に祀られている。清盛等が書写したという国宝の平家納経は、この本尊に向けて奉納されたといわれている。
豊臣秀吉天正18年(1590)に、ここ大聖院を訪れ歌会を催したという。

欄間の彫刻も見事だが、内陣左手には仏像や宝物などがたくさん並べられている。

内陣右手には、平成18 年に弥山開創1200年記念の際に講演した、ダライ・ラマ師の写真が掲げられている。

そのとき開眼供養されたチベット風の金色の弥勒菩薩が安置されていて、その弥勒菩薩の手前には、チベット密教の僧によって製作された砂曼荼羅がある。

観音堂の前を真っ直ぐ進む先に、明治43年(1910)に再建された勅願堂が建っている。その後ろにわずかに屋根が見えるのが大師堂である。文化14年(1817)に建てられた大聖院本坊最古の建物で、弥山開基と伝わる空海弘法大師が祀られている。その廻りには、西国三十三観音、一願大師、稚児大師等が祀られた小さな御堂が取り囲むように建っている。大師堂の右に見えるのは、愛染堂であろう。

勅願堂は、鳥羽天皇勅命の祈願道場として創建されたと伝えられる大聖院の本堂である。

豊臣秀吉朝鮮出兵の際に必勝・海上安全を祈願した念持仏で、天下統一後に奉納された波切不動明王を本尊としている。堂内では毎日、家内安全・心願成就等の護摩祈願が行われている。