半坪ビオトープの日記

滋賀

百済寺、庭園

湖東三山の西明寺、金剛輪寺は、歴史を感じさせる庭園もあり、本堂内の仏像も見応えあったが、参道が長くて境内も広く、湿気も多くてとても疲れた。予定していた最後の百済寺は諦めて、後日、帰りがけ最後に参観したが、ここに続けて紹介しておく。 湖東三山…

金剛輪寺、本堂、三重塔

本堂まで続く長い参道の脇には「千体地蔵」と呼ばれる小さな地蔵菩薩が無数に並んでいる。それぞれの地蔵菩薩には家々の名前が書かれており、その数は2000体を越えるともいわれる。よく見かける水子供養に限らず、家内安全とか学業成就など思いは多様である…

金剛輪寺、明寿院庭園

湖東三山の真ん中の寺・金剛輪寺は、西明寺のすぐ南に位置する天台宗の寺院で、山号は松峯山、地名から松尾寺ともいう。駐車場近くの総門(黒門)をくぐると、すぐ右側に拝観受付がある。庭園は200m先だが、本堂は15分ほど参道を上がるという。本堂まで車で…

西明寺、三重塔

本堂の右手(南)に三重塔が建っている。鎌倉時代後期、飛騨の匠が建立した桧皮葺和様の、釘を使わない総檜の建物で、国宝に指定されている。総高は23.7m、逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが特徴とされる。一般に銅製が多い相輪…

西明寺、本堂

湖東三山は、琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置する、西明寺・金剛輪寺・百済寺の三つの天台宗寺院の総称である。百済寺の南東に位置する永源寺とともに紅葉の名所として知られている。惣門の南を左に折れ、名神高速を越えて坂を上り、長い参道の途中に…

多賀大社、金咲稲荷神社

社務所の左奥に進むと絵馬殿、鐘楼があり、さらに奥には夷神社、日向神社などもあるが、奥書院を見た後、また拝殿前に戻る。右手前には神馬舎があり、白馬像が奉納されている。 神馬舎の先には能舞台が建っている。正月の初神楽や例大祭、万灯祭などの年中行…

多賀大社、奥書院

多賀大社の社殿は、元和元年(1615)に焼失したが、寛永10年(1633)に徳川家光が再建を命じ、5年後に完成した。ところが安永2年(1733)、天明2年(1782)にも火災に遭い、寛政3年(1791)には暴風で社殿が倒壊した。だがその都度彦根藩及び幕府から手…

多賀大社、拝殿

彦根城から南東、数Kmのところに滋賀県第一の大社、多賀大社がある。古くから「お多賀さん」の名で親しまれ、年間170万人の参拝者が訪れる。 天正16年(1588)に、多賀大社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがダメなら2年、せめて30日でも」と母の延…

彦根城周辺

天守を見学した後、北東にある黒門へ向かうため黒門山道を下り始めると井戸曲輪がある。弧状に築かれた小さな曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀が巡っていた。塩櫓のそばには方形と円形の桝が現存しており、石組み溝で雨水を浄化し貯水する井戸と考…

彦根城、天守から

徳川四天王の一人・井伊直政は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。直政は中性的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山に…

彦根城、天守閣へ

7月中旬に滋賀県の琵琶湖周辺を旅行した。あいにく雨が降る中、まず最初は彦根城に向かう。表門の手前の木橋を渡り、内濠を越えて城内に入る。 表門を入ると右手に彦根城博物館がある。表御殿跡地に表御殿や奥座敷、能舞台などが復元され、彦根藩主・井伊家…