半坪ビオトープの日記

多賀大社、金咲稲荷神社


社務所の左奥に進むと絵馬殿、鐘楼があり、さらに奥には夷神社、日向神社などもあるが、奥書院を見た後、また拝殿前に戻る。右手前には神馬舎があり、白馬像が奉納されている。

神馬舎の先には能舞台が建っている。正月の初神楽や例大祭、万灯祭などの年中行事で、神楽や能が披露される。

拝殿の右手、能舞台の先に「寿命石」があり、さらに右手に金咲稲荷神社の朱色の鳥居と小さな社がある。右側が五穀豊穣を祈る年神神社で、左側が家内安全を祈る竃神社である。

「寿命石」に関しては、鎌倉時代の僧・重源の伝承がある。東大寺再建を発念して20年になろうとする齢61の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に参籠したところ夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら多賀神に祈願せよ」と告げた。重源が多賀社に参拝するとひとひら柏の葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡があった。「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意だから、「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。神意を得て歓喜し奮い立った重源は、以後さらに20年の努力を続けて見事東大寺の再建を成し遂げ、報恩謝徳のため多賀社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝わる。右の囲いの中にその石は今も残り、長寿を願う参拝者が石に祈願を書き込んで寿命石の上に積み上げている。
寿命石の後ろに立つ社は、右側が三宮神社で、左側が聖神社(祭神:少彦名命)である。その左には熊野神社・天神神社・熊野新宮が工事中でカバーに覆われている。

三宮・聖神社の右手の参道には、金咲稲荷大明神の幟がたくさん立ち並んでいる。

参道の途中で左手に折れると、朱色の鳥居がびっしりと立ち並んでいる。

さらに右に折れると、正面に金咲稲荷神社の社殿がある。祭神として、伏見稲荷大社と同様に宇迦之御魂神を祀っている。

金咲稲荷神社の社殿の近くから、多賀大社の本殿がわずかに垣間見られた。

多賀大社の門前には、多賀名物の和菓子・糸切餅の老舗、多賀やがあり、寿命杓子なども売っている。

ほかにもいくつか店が並び、滋賀県名物の赤こんにゃくや、永源寺こんにゃく、丁字麩、近江の地酒なども売られている。

多賀大社の近くに歴史の古い西徳寺がある。聖武天皇の勅願により、行基天平8年(736)に創建し、当初は天平寺と称し法相宗に属した。行基が彫刻した座像阿弥陀仏多賀大社本地仏に、立像一体は西徳寺の本尊となる。第8世義真大僧都延暦寺初代座主となり、第14世静源権大僧都の時、天台宗に改宗し、第61世慈照の永正元年(1504)浄土真宗に改宗した。