半坪ビオトープの日記

石山寺、大黒堂


湖南で泊まった翌朝、大津市石山寺を訪れた。駐車場から東大門へ向かう途中、左手の植え込みに芭蕉の句碑があった。
「石山の石より白し秋の風」元禄3年(1690)芭蕉石山寺のそばの幻住庵に一夏を過ごしているが、この句は元禄2年、加賀の那谷寺で詠まれて、奥の細道に載っている。那谷寺にも白い石山があるが、定説ではこの句の石山は石山寺とされている。そしてその意味は、「那谷寺の石は、近江の石山寺の石山よりも白いといわれるが、今吹いている秋風は、那谷寺の石山よりも白く感じられる」となる。しかし、加賀小松の那谷寺には同じ芭蕉の句碑があり、加賀の石山説をとると、「那谷寺の石山の石は、とても白く、吹き渡る秋風は、それよりももっと白く感じられる」という意味になる。

芭蕉の句碑のすぐ右に、史跡・石山貝塚の標識がある。石山寺の前辺りには、東西約20m、南北約50mにわたり瀬田シジミやタニシなどの貝層が堆積し、淡水産貝塚では日本最大の規模を誇る。貝層からは人骨や磨製石器、動物の骨など豊富な遺物が出土し、石山観光会館に展示されている。今から約8000年前に作られた貝塚で、出土した刺突文のある深鉢土器は「石山式土器」と命名されている。

石山寺門前には、しじみ飯や鮒鮨など郷土料理の店が並ぶ。志じみ茶屋湖舟のしじみ釜飯は、注文後に鉄釜で炊き上げるという。びわ湖特産の自家製ふなずしや佃煮を製造販売する至誠庵ともども古くからの老舗である。
両店の間に立つ松は「三鈷の松」という。弘法大師空海弘仁2年(811)3ヶ月間石山寺にて修行したゆかりの松なので、「三鈷の松」と伝承されている。

石山寺東寺真言宗の寺で、京都の清水寺奈良県長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国33箇所観音霊場の第13番札所となっている。
参道入口の門、東大門は入母屋造本瓦葺の八脚門で、建久元年(1190)源頼朝の寄進により建立されたと伝わる。大棟の鬼瓦に記された慶長5年(1600)年の銘から、淀君の寄進による本堂の礼堂が建立されたのと同時期に、大幅な修理を受けていると考えられている。天井下の蟇股や破風の懸魚などに桃山形式を多く残している。

左右に阿形、吽形、二体の迫力ある金剛力士像が安置されている。運慶・湛慶親子の作と伝わると寺ではいうが、確かではない。これは左側の吽形である。

東大門をくぐり境内に足を踏み入れると、参道の左右にいくつも子院が並んでいて、門から中の庭園などを覗き見ることができる。これは右側二番目の子院、拾翠園である。

門から見えていた石柱には「これより南石山寺領」と表記されているので、外から持ち込まれたものであろう。

左に続く庭には池があり、金龍社という小さな社が祀られている。淳浄館という建物では、源氏物語五十四帖の簡略解説パネルが展示されていた。

拾翠園の西隣りには大黒堂が建っている。建物は明治時代の建立という。石山寺の見学ルートの最後に、この大黒堂の庭を拝見しながら出てくることになる。

大黒堂に安置されている本尊の大黒天像は、万寿元年(1024)石山寺の三人の僧に夢のお告げがあり、湖水より出現したという伝承のある秘仏である。中央にお前立ちの大黒天像が小さく見えるが、室町時代に安置されたものという。