半坪ビオトープの日記

笹野観音堂、仁王門


白布温泉から米沢市内へ向う途中、左手に笹野観音堂がある。天保11年(1840)に民家より出火して以前の仁王門は焼失した。現在の仁王門は明治6年、米沢の豪商渡部伊右ェ門広繁・広豊親子が南原の常慶院より買い受け移築して再建された。

仁王の堅固な身体にあやかり、健康や足が丈夫になるように願って、大きな下駄やわらじなどの履物が奉納されている。

仁王門をくぐってすぐ右手の杉の古木の傍らに、ひっそりと佇む小さな御堂は弁天堂である。5尺四方で、延享2年(1745)に建立されている。

参道の左手には千体地蔵堂が建っている。嘉永3年(1850)に隣の長厳寺より釈迦堂が移築され、焼失により28年後に再建された。

紫の衣をかけた本尊は「いびた地蔵」と呼ばれる。米沢で長患いして寝込むことを「いびた」といい、中風除けの地蔵様として信仰されている。本尊の周囲には米沢に伝わる土人形「相良人形」の小さな地蔵が約800体祀られている。

千体地蔵の隣には、手を洗い口を漱ぐための水屋、漱口場がある。手前の石碑は芭蕉の句碑で、文化9年(1812)に建てられたものである。「ものいへば唇寒し秋の風」芭蕉

漱口場の脇にツリフネソウ(Impatiens textori)が咲いていた。北海道から九州の山地のやや湿ったところに生える1年草で、高さは40~80cmになる。花期は8~10月。茎先に花序を出し、赤紫色の花を多数咲かせる。花の形は釣舟形で、後ろに伸びる距は渦巻き状になる。

千体地蔵堂とは反対の参道の右手に進むと、高さが240cmもある大きな芭蕉の句碑がある。「観音の甍みやりつ花の雲」芭蕉が病床の身で、江戸深川の芭蕉庵から浅草の観音様越しに上野の桜を見て詠んだ句とされる。天保14年(1843)芭蕉の150回忌に建てられた。

参道中程の右側に、一坪ほどの小さな不動堂が建っている。

本尊として三股不動が祀られている。元は境内を流れる小川の水上、門前の家々の水源である三股という所に祀られていたという。