法泉寺の北境内奥の文殊堂は、二代目の絶山和尚が学問所・禅林文庫の鎮守として、慶安元年(1648)に切戸の文殊(京都府宮津市)を勧請したと伝えられている。元禄2年に立派なお堂が建てられたが、寛政元年、大正6年と二度の火災に遭い、現在の文殊堂は昭…
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