半坪ビオトープの日記

米沢藩主上杉家墓所


米沢市街地の西端に上杉家廟所がある。先ほどの法泉寺のほか林泉寺にも小さな上杉家廟所があるが、ここは国の史跡に指定されており、史跡名は米沢藩主上杉家墓所という。米沢市民は敬意を込めて「御霊屋(おたまや)」と呼んでいる。
上杉家の家紋は「竹に雀」で、その紋にもいろいろな意匠があるようだが、どれにも二羽の雀が向き合って飛んでいる姿がある。

境内に入るとすぐ左手に上杉家墓所資料館が建っている。かつて廟所参道中央にあったと伝わる旧拝殿を利用したもので、平成6年から19年にかけて行われた廟屋解体修理事業を紹介する資料を展示している。

解体修理工事で撤去した鬼瓦等の部材、治憲廟から出土した墓誌・数珠のレプリカ等が展示されている。左には、治憲廟の解体・復元想定図が示され、廟の中には五輪塔が安置され、その地下約3mほどに霊柩が埋められている様子が描かれている。

境内は東西100m、南北180mで、樹齢400年を越す老杉が鬱蒼と立ち並び静寂を極めている。墓域の入口には、上杉家の軍旗、「毘」と「龍」の旗がたてられている。

入口手前左手に墓所の案内板があり、霊廟の並び順が説明されている。上杉謙信を家祖(初代)とする米沢上杉家では、景勝が二代となり、鷹山が十代となっているのでややこしい。一般に呼ぶ出羽米沢藩の藩主では、初代が景勝で、治憲(鷹山)が九代である。

墓域の正面、一番奥まったところに初代謙信公の霊廟が祀られている。

現在の廟所は謙信霊廟を中央にして、左右に歴代藩主の霊廟が厳かに建ち並んでいる。右手には三代定勝から十一代治広までの奇数代の霊廟が並んでいる。

左手には二代景勝から十二代斉定までの偶数代と、十代治憲(鷹山公)の世子顕孝が祀られている。十三代斉憲は東京に墓所があり、十四代茂憲は記念碑がここに建てられている。