半坪ビオトープの日記

山形

弥陀洞を過ぎると左手上に仁王門が見えてくる。仁王門は参道の中腹にある入母屋の単層門で、周囲の景観と一体化し山寺の象徴的な景観の一つとなっている。 嘉永元年(1848)に第65世・情田和尚により再建された、けやき材の優美な門で、左右に安置された仁王…

山門から参道を進むと、立ち並ぶ樹林によって薄暗くなり、道の脇には苔むした奇岩怪石がごろごろと現れてくる。少し上がると姥堂がある。この堂の本尊は奪衣婆の石像である。 ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、そばの岩清水で心身を清め新…

「おくのほそ道」の山寺では、「麓の坊に宿かり置て山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし松柏年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。閑さや巌にしみ入蝉の聲」とな…

松尾芭蕉は元禄2年(1689)「奥の細道」の途上、山寺を訪れた。 当初の予定にはなかったが、尾花沢で人々に勧められ急遽行程を変更したという。 曽良の日記によると当初「山寺や岩にしみつく蝉の聲」と詠んでいたが、5年後の「おくのほそ道」で推敲の上完…

東北の霊場山寺は愛称で、正式には天台宗の宝珠山阿所川院立石寺(あそがわいんりっしゃくじ)という。貞観2年(860)清和天皇の勅命を受けて、比叡山天台宗の高僧慈覚大師(円仁)により開山されたとされ、東北屈指の天台教学の大道場となった。奥の細道で…

ゴールデンウィーク前半に山寺と松島、仙台に出かけた。朝早く東京を出て高速を急いでも山寺に着くのは昼になる。まずは腹ごしらえで、そばにした。 「滝不動生蕎麦」でおすすめの「寒ざらしそば」の天ざるは、コゴミの天ぷらやミズとワラビの漬け物もあり、…

庄内藩主酒井氏の居城跡が鶴岡公園となっている。鎌倉時代に武藤氏が築城し、当時は大宝寺城と称した。その後、最上氏、酒井氏と代が替わり、11代まで200余年間、酒井氏の本拠となっていた。明治維新の際官軍に抗戦したため城郭は壊され、今では堀の一…

鶴岡市街地の真中に致道博物館がある。ここは、鶴ケ岡城(現在の鶴岡公園)の三の丸にあたり、庄内藩の御用屋敷となっていた所である。 庄内藩は、徳川四天王の一人酒井忠次を祖とし、三代忠勝が元和8年(1622)信州松代から14万石で移封となってから、明…

いくつも社殿や境内社がある気比神社の境内の東のはずれに、さらに気比台の池(御池)に通じる石段の参道が見える。 参道の入口の右手前には、日本武尊を祀った境内社がある。 うっそうと樹木が茂る暗い社叢の中を進むと、左手にまたもや境内社がいくつか見…

羽越本線三瀬(さんぜ)駅の北にあり、西に日本海を望む丘陵上にある気比(きび)神社は、霊亀2年(716)に越前敦賀の気比神宮の分霊を勧進したと伝えられ、古くは気比宮と称していた。縄文時代、弥生時代の遺物が境内からも出土するなど、昔からこの辺りの…

田川八幡の1kmほど北西に水上八幡神社がある。古来から宇幣山龍頭ヶ池の畔に鎮座していた水上宮の水分(みまくり)神と、寛治年間(1087~94)に源義家が勧進した石清水八幡宮とを合祀したのが始まりと伝えられる。安貞年間(1227~29)に現在地に遷座し、乾…

湯田川温泉の西にある田川八幡神社は、古くは大山川上流に川下の地主神としてあったものを霊亀元年(715)に遷座し、さらに源義家が寛治元年(1087)に現在地に遷座したと伝えられる。 歴代の支配者に崇敬され、平安末期は田川郡を領した、田川氏の祈願所と…

現鶴岡市高坂生まれの藤沢周平は、湯田川村立湯田川中学校の教員を経て小説家になったため、湯田川温泉に縁が深い。10年ほど前には、藤沢周平原作、山田洋次監督による映画「たそがれ清兵衛」のロケが由豆佐売神社で行われ、エキストラで湯田川温泉の人た…

湯田川温泉の源泉の正面、路地の奥に由豆佐売(ゆずさめ)神社がある。 白雉元年(650)に名をあらわす古社で、延喜5年(905)の延喜式神名帳にも鳥海山、月山とともに名を連ねる式内社でもある。 三代実録(901)の仁和元年(886)の條に、飽海郡の大物忌…

鶴岡市街地に戻り、湯田川温泉に向かうとすぐに遠賀(おが)神社の鳥居に至る。創建年代は不詳だが、延喜式神名帳にみえる田川郡三社のうちの遠賀神社といわれる。 由緒によれば、天長2年(825) 別当寺として本地観音菩薩を祀る井岡寺が創建され、当社は岡…

本堂の左に位牌堂がある。位牌堂とは、三十三回忌や五十回忌を終えてお寺に納める先祖の位牌を永代に祀る持仏堂のことと思っていたが、ここでは家の仏壇とは別にお寺にも位牌を祀って、先祖の忌日毎にあるいは一斉に読経をあげてもらうようだ。ほとんど同じ…

出羽三山の麓、東北一の大鳥居の近くに、曹洞宗の国見山玉川寺(ぎょくせんじ)がある。建長3年(1251)に、大本山永平寺開祖である道元の高弟、朝鮮半島の高麗で生まれ中国の径山寺で修行した、了燃法明禅師により開山されたと伝えられている。その後、享…

出羽三山の麓にある門前町の手向(とうげ)には宿坊が建ち並ぶ。町並の左手に羽黒山正善院黄金堂がある。 創建については記録はないが、神亀5年(728)に聖武天皇が勅願所として建立したという伝承が伝わっている。 その後、建久4年(1193)源頼朝が奥州征…

弥陀ヶ原にある御田原神社は、月山中之宮とされる。御田原小屋を月山御田原参籠所として宿泊・昼食等を供しているが、ここを利用して月山神社に向かう参拝者も多いという。月山(1984m)山頂に鎮座する月山神社は延喜式の名神大社で、東北唯一の官幣大社で…

羽黒山から月山高原ラインを通り、約18km先にある月山の八合目に向かう。 月山八合目から北西方向の遥か下には鶴岡市のある庄内平野が見えるが、鳥海山は雲がかかって上が見えない。こちらの南方向の月山には雲がかかり始めていた。 ここから数分の海抜140…

通称、出羽三山神社と呼ばれる、羽黒山の中心である三神合祭殿は、祭神として、月山神社が月読命、出羽神社が伊氐波神・稲倉魂命、湯殿山神社が大己貴命・少彦名命・大山祇命を祀る。 現在の社殿は、文政元年(1818)庄内藩主酒井忠器の再建による。高さ約2…

羽黒山頂には出羽三山歴史博物館があり、修験道法具、開山の蜂子皇子尊像、鏡池出土の古鏡、芭蕉筆の天宥追悼句や多くの仏像などが展示されている。 天宥社は、羽黒山中興の祖といわれる天宥法印を祀った神社で、現在の社殿は平成4年に再建されたものである…

祓川神橋から右前方に須賀の滝が見える。橋のたもとには下居社、滝の手前の左には岩戸分神社、右には祓川神社がある。 須賀滝神社の前の参道を進むと、やがて左側の杉木立の中に爺スギが見える。爺スギは、樹齢約1000年、根回り10.5m、樹高42mで、国の天然…

湯殿山の際に触れたように、月山・羽黒山・湯殿山は出羽三山と称し、その中心をなす羽黒山(414m)に、月山神社と出羽(いでは)神社を合わせた、出羽三山神社(でわさんやまじんじゃ、三神合祭殿)が置かれている。表参道の一の鳥居の近くにある、いでは文…

明治16年、月円禅山和尚の代に、漁業関係者により発願され、明治26年に日本唯一の「魚鱗一切の供養」の五重塔が建立された。総檜造りの五重塔の高さは38.4mあり、龍神伝説を伝える彫刻が施されている。致道博物館にある擬洋風建築である旧西田川郡役所…

上ノ山、東山と並び奥州三楽郷の一つとされ、古くから栄えてきた湯野浜温泉の手前に、龍沢山善宝寺がある。 愛知県豊川の妙厳寺、小田原の最乗寺とともに曹洞宗三祈祷所の一つとして知られる。参道の右に建つのは親子地蔵尊という。 天暦9年(955)頃、今昔…

田麦俣から鶴岡市内へ戻る途中真言宗智山派の湯殿山注連寺がある。注連寺は湯殿山表口別当寺で、出羽三山の参道口にあたり、寺の先には「女人結界」があったため、女人禁制の湯殿山に詣でたい女性のための遥拝所として栄えた。 天長10年(833)に空海がこ…

ひと月ほど前になるが、8月半ば過ぎに鶴岡から出羽三山を巡った。 新潟から左に見えていた日本海を離れ、広々とした庄内平野に入ると、ようやく目当ての山々が見えてくるのだが、残念ながら天気が思わしくなくて、出羽三山(月山1984m)には幾重にも雲がか…

最終日はいくつかリフトを乗り継いだ後、蔵王スカイケーブルで中央高原駅に上った。 駅前に蔵王大権現堂がある。権現とは「権(かり)の姿で現れる神仏」を意味している。蔵王権現とは、インドに起源をもたない日本独自の仏で、奈良県吉野の金峯山寺本堂(蔵…

樹氷高原駅を過ぎると百万人ゲレンデに出る。百万人とは大げさだが、広々としたゲレンデをゆったり滑ることができるのは心地よい。 最近の若者はほとんどスノーボードで滑っているが、これだけ広々としているとスキーと混在していても衝突の不安は感じない。…