半坪ビオトープの日記


湯殿山の際に触れたように、月山・羽黒山湯殿山出羽三山と称し、その中心をなす羽黒山(414m)に、月山神社と出羽(いでは)神社を合わせた、出羽三山神社(でわさんやまじんじゃ、三神合祭殿)が置かれている。表参道の一の鳥居の近くにある、いでは文化記念館には、出羽三山関係の歴史資料や修験道の資料が展示されている。

一の鳥居の右手前には羽黒山末社の天地金神社がある。応永4年(1397)学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)に再興された。もとは「元三大師像」を本尊として祀っていたので大師堂と称していたが、昭和39年に須佐之男命を祀って天地金神社となった。柱には龍の彫刻が施されている。

推古天皇元年(593)に崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が、奈良からこの地に来て、三本足の霊烏の導きにより羽黒山を開山し、次いで月山と湯殿山を開山したと伝えられている。
随神門は、初め仁王門として元禄年間に秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の際、随神像を祀り、随神門と名付けた。ここより内は出羽三山神社の神域となり、随神門は、月山を超え湯殿山まで広がる神域の表玄関である。

随神門を潜ると長い継子坂を下る。坂の下にはいくつもの境内社がある。
右手前に磐裂神社、左に根裂神社、正面奥に五重猛神社、右に曲がると、左に大年神社、右手前に天神社、右奥に豊玉姫神社があり、参道の奥には朱色の神橋が見える。

これが磐裂神社であり、その先に見えるのが天神社である。
磐裂(いわさく)神、根裂神は、日光、足尾、今市、鹿沼に多くあって、栃木県の土着神といわれるが、古事記日本書紀によると、イザナギイザナミの死因となった火神カグツチの首を斬ったとき、剣の先についた血が岩について化生した神とされ、その後、禊をして天照大神が化生したとされる。「岩根さえも裂く剣の威力」を表すという解釈もあるが、「岩の神」と考えるのが有力な解釈で、どちらにしても大変古い神である。

大年神社で祀られている大年神(大歳神)は穀物神で、「年」とは稲の実りのことである。いうまでもなく、年神を祀る正月の中心行事での飾り物は、もともと年神を迎えるためのもので、門松は年神が来訪するための依代である。