半坪ビオトープの日記


ひと月ほど前になるが、8月半ば過ぎに鶴岡から出羽三山を巡った。
新潟から左に見えていた日本海を離れ、広々とした庄内平野に入ると、ようやく目当ての山々が見えてくるのだが、残念ながら天気が思わしくなくて、出羽三山(月山1984m)には幾重にも雲がかかっていた。右手前に見える山は、麓に湯田川温泉のある金峰山(458m)と思われる。

湯殿山神社は、湯殿山に鎮座する神社だが、社殿を設けず湯殿山(1504m)の中腹(1100m)に湧出する場を神域としている。祭神は、大山祇神大己貴命少彦名命であり、古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、多くの修験者、参拝者を集めている。
湯殿山の行人の修行は一期千日であり、数十の行人碑には三千日、五千日の参篭を刻んだものもある。現在確認されている湯殿山系の即身仏は、庄内及び新潟北部に十数体あるという。
大駐車場から30分歩くか専用バスで上る。当社に着くとまず裸足になるよういわれ、受付でお守りと人形を受け取り、お祓いを受け、人形に身体の汚れを移して水へ流す。裸足のまま奥へ進むと巨石の御神体がある。正面の鏡に参拝し、黄褐色の巨石を左から上っていく。巨石には温泉が流れている。背後の行き止まりにはいくつかの石碑があり、その向こうに滝が見える。
参籠所の傍らにそびえ立つ大鳥居は、高さが18mあり、扁額には「湯殿山本宮」と記されている。参道から先は撮影禁止なので、写真は1枚も撮れないのが残念だった。湯殿山中のことは他言が禁じられていて、芭蕉も「筆をとどめて記さず」と詳しいことは記していない。

湯殿山神社参籠所の前には大きな草鞋が掲げられ、そこには「奉納、月山志津温泉生誕400年記念、東北大震災復興祈願」と書かれている。

田麦俣の集落は、庄内と内陸を結ぶ六十里街道の要所であり、湯殿山参拝人の宿場として栄えてきた。全国有数の豪雪地帯で、独特の多層民家が残っている。

文化文政年間(1804-30)建築と推定される四層構造の旧遠藤家住宅は、明治時代に養蚕が盛んになったため、寄棟屋根の平部分に屋根窓(高はっぽう)が設けられ、窓の輪郭が美しい風格のある兜造に改築されている。1階が主に家族の居住用として使われ、2階は下男達の居住用と作業場・物置であり、その上に養蚕と作業のための3階「厨子」があり、更にその上に物置用の「天井厨子」がある。

ここは1階の家族団らんの間「おめえ」である。奥には下座敷が見える。その右に上座敷がある。