半坪ビオトープの日記


「おくのほそ道」の山寺では、「麓の坊に宿かり置て山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし松柏年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。閑さや巌にしみ入蝉の聲」となっているが、芭蕉が山寺のどこでこの句を詠んだかは、曽良の日記にも書かれていないので謎となっている。
日枝神社と念仏堂の間にある宝物館の向かいに、芭蕉曽良が一休みしている像がある。芭蕉像は昭和47年に、曽良像は「おくのほそ道」紀行300年を記念し平成元年に建てられたもので、二人の像の間にはまたもや芭蕉の句碑がある。
宝物館には、安山岩でできた天養元年(1144)の如法経所碑(重文)や、木造釈迦如来薬師如来阿弥陀如来立像、木造伝教大師座像など多くの寺宝が展示されているので、ぜひとも拝観しておいた方がよい。

宝物館の先にある念仏堂は、3間四面の宝形造りで正面に1間の向拝を付けている。
江戸時代初めに再建された修行道場で、座禅や写経など参拝者もできるように準備されているという。

本尊は、宝冠をつけた慈覚大師作の阿弥陀如来像である。ほかにも徳川将軍家の霊碑、山形24万石鳥居左京亮などの位牌が安置されている。

念仏堂の先にある鐘楼堂は一段と高くなっている。「招福の鐘」とも呼ばれ、除夜の鐘でもよく知られるこの鐘は、立石寺66世優田和尚が再建したという。

鐘楼の先がいよいよ山門で、鎌倉時代末期の建立と伝えられる。「開北霊窟」の扁額が掲げられている。手前にある石柱には「山寺宝珠山立石寺」と彫られている。
山寺は創建以来たびたび火難に遭ったが、根本中堂とこの山門だけはそのままに残され現在に至っている。ここが開山堂などへの登山口で、ここから奥之院まででも石段が800段を超える。

山門を入ってすぐ右の石垣にスミレが咲いていた。日本中の野山で最も普通に見られるタチツボスミレ(Viola grypoceras)である。