半坪ビオトープの日記


松尾芭蕉は元禄2年(1689)「奥の細道」の途上、山寺を訪れた。
当初の予定にはなかったが、尾花沢で人々に勧められ急遽行程を変更したという。
曽良の日記によると当初「山寺や岩にしみつく蝉の聲」と詠んでいたが、5年後の「おくのほそ道」で推敲の上完成された句は次のようになった。
閑(しずか)さや巌(いわ)にしみ入蝉の聲  芭蕉
句碑は、門人達が嘉永6年(1853)に建てている。

奥に見える宝塔は、山寺を勅願寺とした清和天皇の供養塔で、山寺で最も古い石塔である。

山寺にある日枝神社は、開山にあたり慈覚大師一山(宝珠山)の守護神として釈迦、薬師、阿弥陀三尊が安置されている。当初より神仏混合していたようで江戸時代まで山王権現と呼ばれていた。明治維新神仏分離で村社となり、大山咋命(おおやまぐいのみこと)を祭神として祀っている。

延久4年比叡山で行われた日吉祭りになぞらえて、山王21社をこの山寺に神仏の分霊を講じて迎えたのが、山寺山王祭りの始まりである。例年5月17日に例大祭がある。

神木とされる大銀杏は、慈覚大師お手植えと伝えられ、その脇には高浜虚子・年尾の親子句碑が建っている。
いてふの根床几斜めに茶屋涼し  虚子
我もまた銀杏の下に涼しくて   年尾

この屋根の下にあるのは亀石という。小銭に名前を書いて亀石の上に置くと延命長寿の願いが叶うといわれる。