半坪ビオトープの日記


上ノ山、東山と並び奥州三楽郷の一つとされ、古くから栄えてきた湯野浜温泉の手前に、龍沢山善宝寺がある。
愛知県豊川の妙厳寺、小田原の最乗寺とともに曹洞宗三祈祷所の一つとして知られる。参道の右に建つのは親子地蔵尊という。

天暦9年(955)頃、今昔物語にも見える妙達上人が龍華寺を建てたのが始まりと伝えられる。
のち一時荒廃したが、延慶年間(1308~11)本山総持寺の二世住職峨山紹磧が中興した。
その後、室町時代の永享年間(1429~41)に、太年浄椿禅師により再興され現寺号に改められた。入口右にあるこの建物は、龍華庵という。

善宝寺は、東北・北海道に広く漁民の信仰を集め、海の守護神龍神を祀る関東以北屈指の名刹である。この建物は、観音堂である。

高館山の北東麓一帯を占める14万㎡余りの広大な境内には、本堂、龍王殿、五重塔、山門など二十数棟の堂塔が立ち並び、寺宝として菱田春草筆の王昭君図(重文)がある。
山門の前に立つ総門も、精緻な彫刻が施され見応えがある。

左に韋駄天像、右に毘沙門天像と、仁王像をもつ重厚な山門は、文久2年(1862)に再建されたもの。龍澤山の山号額は、老卵和尚が宇治興聖寺在任中に書いたものという。

こちらは左の韋駄天像である。
一般に、仁王像は金剛力士像が多いので、この二つの像は珍しい。

こちらが右の毘沙門天像である。