半坪ビオトープの日記


明治16年、月円禅山和尚の代に、漁業関係者により発願され、明治26年に日本唯一の「魚鱗一切の供養」の五重塔が建立された。総檜造りの五重塔の高さは38.4mあり、龍神伝説を伝える彫刻が施されている。致道博物館にある擬洋風建築である旧西田川郡役所を設計した明治の代表的な名匠、高橋兼吉が棟梁を務めた建築である。高橋兼吉はほかにも明治10年に荘内神社、明治15年には湯田川由豆佐売神社や、鶴岡裁判所、鶴岡町役場など当時の庄内を代表する多くの建造物を建てている。

宝暦2年(1752)建立の弥勒堂には、大きな石造の弥勒尊が安置されている。参拝者が多いと見え、花や飾り物がたくさんある。

五百羅漢堂は、安政2年(1855)に落成した。松前の信者の寄進によるもの。

中にはびっしりと五百羅漢像が並んでいて圧倒される。

歴代住職は寺門の興隆に尽力し、江戸時代中期、霊感応伝大和尚の代には本堂庫裡の整備が進み、今日の基礎が築かれた。
本尊は薬師如来であり、現在の本堂、青森のヒバで建てられた感応殿は、昭和35年に落慶している。

再興時にまたも現れた龍神に戒脈伝授を願ったところ、たちどころに願いが叶ったので、太年禅師は龍王殿を建立したという。現在の龍王殿は、天保4年(1833)に再建されている。

開創時、再興時に現れた龍神竜王、竜女)を守護神として祀り、古くから北海道から北陸に至る漁業関係者ほかの崇敬を集めている。
龍神が身を隠したと伝わる貝喰の池には、人面魚が住むとかなり前に騒がれたが、たんなる鯉の頭の模様にすぎない。